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『母なる証明』ポン・ジュノがあぶり出す普遍的な愛の狂気 ※注!ネタバレ含みます。

(C)2009 CJ ENTERTAINMENT INC. & BARUNSON CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED

『母なる証明』ポン・ジュノがあぶり出す普遍的な愛の狂気 ※注!ネタバレ含みます。

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母の絶対的な庇護



 『母なる証明』作品世界では母親の不在が、死や不幸と直結している。


 母親のいない少女アジョンは、痴呆ぎみの祖母を養うため身体を売り、あげくトジュンにうっかり殺されてしまう。そして、母親のいない少年ジョンパルは、アジョンの鼻血をシャツに付けていたことから、真犯人に仕立て上げられてしまう。ジョンパルの犯行では無いと確信している「母」は、逮捕されたジョンパルと面会をする。息子と同じく知的障害を持つジョンパルに、憐れみの涙を流しながらこう聞く。「お母さんはいないの?」


 もしもジョンパルに母親がいるなら、違法な行為をしてさえ息子であるジョンパルを守るのだが、その存在はいないのか? と聞いたのだ。「母」は全ての母親が自分の子供のためならば、本当の意味で「何でもするものだ」と、確信しているのだ。自分がそうであるように。


 「母」のジョンパルへの心情は、たとえば、保護猫を飼っている人が野良猫に対して「私は私の飼っている猫には惜しみない愛を捧げるが、全ての猫を同じようには愛せない。可哀想だが野良猫には、私の飼い猫にとっての私のような庇護者がいて欲しいと願うばかりだ。」と思い、心の平静を保つ。その心情と同じ構造だ。


 母親が子供を庇護する「愛」は、決して公明正大なものでは無い。また、パートナーやペットなど自分以外の何某かを「愛」するという感情も、やはり公明正大では無い。自分自身が愛していない対象に対しての他者の「愛」は端から見れば「狂気」に映るが、いたって普遍的に誰でも抱くものだ。つまり「愛」という感情一般が、そもそも社会的に公明正大では無く、異様な「狂気」なのだ。だからこそ「愛」は尊く美しい。


 劇中、「母」とジョンパルの面会が終わると、次のシーンでトジュンは釈放される。しかし、そこにはトジュンのために、あれほど孤軍奮闘した「母」の姿は無い。監督によると、トジュンの為にジョンパルを犠牲にしたことへの「母」の贖罪の意味があるという。


 この割に合わない、理不尽な、バランスの悪い贖罪の存在は「狂気」を本質的に孕んだ普遍的な「愛」の尊い美しさを炙り出すのだ。



文:侍功夫

本業デザイナー、兼業映画ライター。日本でのインド映画高揚に尽力中。



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『母なる証明』

Blu-ray ¥5,500(税抜価格 ¥5,000)

発売・販売元:TCエンタテインメント

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