世界に答えを出さないこと
保守的なアメリカ人と、リベラリストのフランス人。娘の無実を信じる父親と、父親を信じられない娘。血縁で結ばれた家族と、非血縁の擬似家族。支持と非支持、倫理と非倫理。罪と赦し。そして真実と嘘。『スティルウォーター』の物語には、人々の関係を引き裂くだけの“理由”が数え切れないほど織り込まれている。そこで決定的な出来事が起これば、人間関係は脆くも崩れ去るだろう。しかしトム・マッカーシーは、そこになるべく答えを出さず、ときには対立する一方への想像を膨らませ、人々をぎりぎりのところで繋ぎとめようとする。
文章の前半で、本作は『スポットライト』と同じ“調査”の物語だと書いた。ただしこの物語が描き出すのは、むしろ前回とは真逆のプロセスだ。調査によって真実が暴かれる『スポットライト』に対し、『スティルウォーター』では調査が進むたび、人々は世界の複雑さや曖昧さに身を委ねることになる。それらは必ずしも真実とは言えないし、ときには社会通念上正しいとも言い切れない。言いかえれば本作は、人々がグレーな部分を受け入れられるかどうかの物語なのだ。逆に「何を受け入れることができないか」についての物語でもある。
ゆえに今回のマッカーシーは、保守にもリベラルにも、理性にも感情にも、正義にも悪にも等しく距離を取り、それらを冷静に見つめる姿勢を崩さない。高らかに理想を語ることも、社会問題に絶望することもしない。人物が理想や正義を語るときは、もれなくそれらを相対化する視線が含まれているのである。
『スティルウォーター』© 2021 Focus Features, LLC.
撮影の高柳雅暢は固定カメラと手持ちカメラを使い分け、視点の高低を繊細に操りながら、都市の風景と人々の心中を表現した。これまたタイトルに通じるが、劇中に何度も登場する「水」のモチーフも美しい。またトム・マカードルの編集は、登場人物の表情に着目しつつ、シーンやカットの余韻をきちんと残す手つきが印象に残る。そして何よりも、ビル役のマット・デイモンによる、彼自身をまるで感じさせないほど役柄に染まった演技は絶品だ。
タイトルの『スティルウォーター』とはビルと母親が暮らすオクラホマ州の土地の名前だが、“穏やかな水面(still water)”とのダブルミーニングである。本作の淡々とした、ときにユーモアも交えた筆致はタイトルを象徴するかのよう。マッカーシーの人間に対する透徹した眼差しと、過剰な緊張も弛緩も許さないストーリーテリングは、スクリーンをいつまでも見ていられるのではないかと思えるほどに豊穣だ。
けれどもそうした穏やかな語り口とは裏腹に、明らかに本作はトム・マッカーシー流の、世界的に広がった分断に対する確固たる〈処方箋〉となっている。「愛する娘は殺人犯か、それとも無実か」というスリリングなサスペンスを味わった先には、早急に答えを出すことが要求される昨今の社会において、いま最も必要とされる物語がにじむのだ。
[参考資料]
『スティルウォーター』プレス資料
文:稲垣貴俊
ライター/編集/ドラマトゥルク。映画・ドラマ・コミック・演劇・美術など領域を横断して執筆活動を展開。映画『TENET テネット』『ジョーカー』など劇場用プログラム寄稿、ウェブメディア編集、展覧会図録編集、ラジオ出演ほか。主な舞台作品に、PARCOプロデュース『藪原検校』トライストーン・エンタテイメント『少女仮面』ドラマトゥルク、木ノ下歌舞伎『東海道四谷怪談―通し上演―』『三人吉三』『勧進帳』補綴助手、KUNIO『グリークス』文芸。
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『スティルウォーター』
2022年1月14日、TOHOシネマズ シャンテ、渋谷シネクイントほか全国公開
配給:パルコ ユニバーサル映画
© 2021 Focus Features, LLC.