ハリウッド的な王道スリラーへの渇望
『フランティック』がヒッチコック的であることのもう一つの理由は、明確なマクガフィンが存在していることだ。マクガフィンとは登場人物の動機づけとして使われるキー・アイテムであり、ストーリーを強力に推進させるためのプロット上の概念。サー・アルフレッド・ヒッチコックが名著「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」でその効用を語ったことから、広く知られるようになった。
「たしかにマクガフィンはひとつの手だ。仕掛けだ。(中略)きみも知ってのとおり、ラディヤード・キプリングという小説家はインドやアフガニスタンの国境で現地人とたたかうイギリス人の軍人の話ばかり書いていた。この種の冒険小説では、いつもきまってスパイが砦の地図を盗むことが話のポイントになる。この砦の地図を盗むことをマクガフィンと言ったんだよ。つまり、冒険小説や活劇の用語で、密書とか重要書類を盗みだすことを言うんだ」(「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」より)
そして本作におけるマクガフィンとは、“自由の女神”のレプリカ像。分かりやす過ぎるくらいに分かりやすいアメリカの象徴を、プロット・デバイスに採用したことは非常に興味深い。なぜなら、1977年にポランスキーはジャック・ニコルソン邸で13歳の少女と淫行に及んだ嫌疑で逮捕され、その後アメリカと犯罪人引渡し条約を締結していないフランスへと亡命し、以降アメリカには戻れない状況が続いているからだ。
『フランティック』(c)Photofest / Getty Images
アメリカから遠く離れた生活を余儀なくされたポランスキーが、それでもアメリカの象徴をあからさまに登場させてしまうことに、ハリウッド映画に対する憧憬が感じられる。イギリス人のヒッチコックは母国で名声を確立させた後、大プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに請われてアメリカに渡り、ハリウッドであまたの傑作スリラーを撮り続けた。一方、自らの出自をなぞるかのようにサイコ・スリラーを撮り続けてきたポランスキーは、ハリウッド進出後もその作風を変えることなく、ハリウッド的なエンターテインメントには背を向けてきた歴史がある。
アメリカに戻れなくなったことで、逆に王道スリラーへの渇望が湧き上がったのだろうか? いずれにしろ、『フランティック』はヒッチコック成分がてんこ盛り。「ハリソン・フォードがシャワーを浴びているときに、妻が行方不明になる」という序盤の展開にも、それは顕著だ。間違いなく、『サイコ』(60)のシャワーシーンがそのリファレンスとなっている。