“ダークサイド・オブ・パリ”の徘徊
『反撥』や『テナント/恐怖を借りた男』が、「主人公の精神がじわじわと闇に包まれていく物語」とするなら、『フランティック』は「舞台となる街がじわじわと闇に包まれていく物語」といえる。
映画の冒頭、高級ホテルのシャワールームで、妻のサンドラはコール・ポーターの「I Love Paris」を口ずさむ。窓から見える景色は風光明媚で、接客は一流。そこには、全ての外国人が憧れる花の都パリの姿がある。だが彼女が突然姿をくらますと、一転してこの街は異邦人に対して牙を見せ始める。
捜索に乗り気ではないホテル支配人や警備課の主任、ふてぶてしい態度を隠そうともしない警察、役立たずのアメリカ大使館職員。彼らはマニュアル通りの仕事をこなすだけで、夫の苦悩に寄り添うことすらしない。孤独と絶望を募らせたリチャードは、残されたスーツケースを手がかりにして、たった一人で妻の救出に奔走。コカインの売買が行われているナイトクラブや、死体が転がるアパートメントなど、ふだんツーリストには決してその顔を見せることのない“ダークサイド・オブ・パリ”を徘徊することで、リチャードは少しずつ真相に近づいていく。
闇の都市の水先案内人は、運び屋のミシェル(エマニュエル・セニエ)だ。二人の奇妙なパートナーシップは、本作のもうひとつの見どころだろう。いかにもカタブツで杓子定規なリチャードと異なり、ミシェルは自由奔放で機知に富み、ローギアで進んできたストーリーを一気にハイへと加速させる。
『フランティック』(c)Photofest / Getty Images
忘れ難いのは、真っ赤なドレスに身を包んだミシェルが、困惑の表情を見せるリチャードを横目に、こまっしゃくれた猫のごとくクネクネ踊るナイトクラブのシーン。そのとき流れている音楽は、グレース・ジョーンズの「I've Seen That Face Before (Libertango)」だ。アストル・ピアソラが作曲した「Libertango」をカバーしたこの曲は、えも言われぬ官能性に満ちている。ソンドラが口ずさむ「I Love Paris」が“光のパリ”を象徴する曲とするなら、「I've Seen That Face Before (Libertango)」は“闇のパリ”を象徴したナンバー。ハリソン・フォードの表情は、闇への手招きに対する必死の抵抗なのだ。
だが、監督のロマン・ポランスキーはその抵抗に打ち勝つことができなかった。エマニュエル・セニエに心奪われた彼は、30歳という年の差を乗り越えて結婚。彼女はポランスキー映画のミューズとして、『ナインスゲート』(99)や『毛皮のヴィーナス』(13)などに出演。演じる役柄は、常に“闇へと手招きする謎のファム・ファタール”である。
参考:
「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」フランソワ・トリュフォー/山田宏一・蓮實重彦訳/1990/晶文社
https://www.imdb.com/title/tt0095174/
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
(c)Photofest / Getty Images