ヘイズ・コードの呪縛から解かれた、『サイコ』の変奏
おそらく『フレンジー』は、ヒッチコック史上最も暴力的で、最も不道徳なフィルムだ。代表作『サイコ』(60)にも、裸の女性が包丁でメッタ刺しされる衝撃的なシャワーシーンがあったが、実は一切裸身は映されていない。当時ハリウッドにはヘイズ・コードと呼ばれる自主規制条項があり、挑発的なヌードや極端な残酷シーンはご法度だったのだ。ヒッチコック自身のコメントを抜粋してみよう。
「もちろん、出刃包丁が肉に突き刺さるカットはない。すべて、モンタージュでそういう印象をあたえた。女性の肉体のタブーの部分は一瞬も見えない。乳房を画面にださないようにするために、いくつかのカットはスローモーションで撮った」(*)
しかし、ヘイズ・コード廃止後に製作された『フレンジー』には、あからさまな暴力と、あからさまな性描写が刻印されている。ラスクは女性を犯したあと、首にネクタイを巻きつけて絞殺。ヒッチコック映画史上、初めてヌードが登場した瞬間だった。しかも女性たちは、ダラリと舌を出した姿で殺されてしまう。『フレンジー』への出演を打診された女優のアイリーン・アトキンスは、この映画を心底「気持ち悪い」と感じ、ヒッチコックに対して「女性差別主義者」という言葉を放って断ったという。
『フレンジー』(c)Photofest / Getty Images
ある意味で『フレンジー』は、ヘイズ・コードの呪縛から解かれた『サイコ』の変奏とも言えるだろう。『サイコ』には、犯人が相手を階段で切りつける様子を真俯瞰から捉えた有名なショットがあるが、『フレンジー』にも大胆な”階段”ショットがある。ラスクが女性を部屋に招き入れたあと、カメラがゆっくりと階段を下っていって、玄関を抜け、通りの反対側に移動し、街の喧騒が聞こえてくるシーン。女性が惨殺されることを予測させるだけでなく、そんな残虐行為もこの街では日常的な風景に埋もれてしまうことを、観客に強く想起させる。暴力をあえて描かないことで、強く暴力を意識させているのだ。見事な演出術というべきだろう。
70歳の老監督が晩年に撮った作品が、最も暴力的で、最も不道徳であることに(そして最も気持ち悪ーい作品であることに)、ヒッチコックの底知れぬパワーを感じてしまう。ふつう映画作家は作品を重ねるに従って洗練に向かうものだが、彼の場合はより生々しいタッチを獲得している。生理的嫌悪を感じさせるくらいの。
最後に余談を一つ。ヒッチコックの娘パトリシアは『フレンジー』を「とても不愉快な映画」と感じ、子供たちがこの映画を観ることを長い間許さなかったそうな。父親にとっては、ある意味で最高の賛辞なのかも。
*晶文社「定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
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