2022.09.15
社会に広がる異常性
グレン・フレシュラーが演じる悪人マイケルも、じつは暴力から逃れようとしている男の一人だ。迫りくる暴力の衝迫から逃れるため、彼は教会に救いを求める日々。信心深く、教会の礼拝にも出席するほど。しかし彼は、人を残忍にも殺害し、自分の中の悪魔を抑え込もうとはしない。いや、抑え込めないのかもしれない。
映画は、ニューヨーク州のほぼ中央に位置するユーティカという都市で撮影された。かつての活気は失われ、古めかしい工業都市のイメージが残るだけ。「昔はどの家にも家族が住んでいて子供の笑い声が絶えなかった」と、ある登場人物が言うように、その場所は人口減少の危機に直面している様子だ。何よりも、ドラッグとそれがもたらす中毒は、多くの人々の生活に影響を及ぼしており、それはクリーン自身も実感しているところ。
『クリーン ある殺し屋の献身』© 2018 A Clean Picture, LLC All Rights Reserved.
つまり彼らが逃れようとしている─けれども逃れられない─暴力の衝迫というのは、ある種の依存症状なのである。どの国、どの町にも普遍して存在する依存性や中毒性、そして社会の異常性。それらに警鐘を鳴らしているのが本作だが、その問題を説教臭く、あえて強調することもなく、ただひたすら、その世界を映し出しているだけ。それはマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』にも共通してくるテーマだ。
『タクシードライバー』では、ベトナム帰還兵のタクシー運転手が、次第に狂気じみてゆくさまを描写する。彼の狂気の発現こそ、社会に広がる異常性からくるものだ。作中、あるシーンで主人公のタクシー運転手は「このゴミ捨て場みたいな町を掃除してもらいたいね」とぼやく。つまり社会に漂う異常な息苦しさを掃除するべきだと。でなければ、人間の精神が狂ってしまう。『クリーン』の主人公がゴミ収集員として生活するのは、この狂った社会を掃除するため。そして、自分の精神を正常に保つための必然的な行為なのかもしれない。
1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「IGN Japan」「リアルサウンド映画部」など。得意分野はアクション、ファンタジー。
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『クリーン ある殺し屋の献身』
9月16日(金)より、全国ロードショー
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
© 2018 A Clean Picture, LLC All Rights Reserved.