2018.05.21
テレビ型のマーベル、映画を基調とするDC
いっぽう、こうしたマーベルのテレビドラマ型とは対照的に、バットマンやスーパーマンを擁するDCは、どちらかというと映画的な形式へのこだわりが強い。特にクリストファー・ノーランの『 ダークナイト』三部作には、それが顕著に現れている。
ノーランはスーパーヒーローを現実世界に根ざした解釈をほどこし、それに説得力をもたせるために、フィルム撮影やジャイアントスクリーンによる映画的な追求を徹底している。こうしたノーランのアプローチが『 マン・オブ・スティール』(13)を初めとするDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)に受け継がれているのは、作品の持つ画調や演出スタイルからして明白だろう。
そもそもノーランがとった手段は、DCのお家芸として昔からあるものだ。1977年に製作された『スーパーマン』は、コミックを映画というステージに上げるための、ひとつの方法論を確立させた。マーロン・ブランドやジーン・ハックマンといったハリウッドのトップ俳優でキャストを固め、そして脚本(マリオ・プーゾ)、監督(リチャード・ドナー)、撮影監督(ジェフリー・アンスワース)など一流のスタッフを配するというやり方だ。
これらは同作のプロデューサーであるサルキンド兄弟が、ワーナーと「キャストやスタッフら人選の自由を認める代わりに、製作資金をプロデューサー側が調達する」という契約を交わしたため、成功を確約できる一流の映画人と組まねばならなかったことに起因する。加えて監督のリチャード・ドナーも、スーパーマン成功の鍵を「映画がその大きな責任を背負う」と自覚し、コミック→映画へのアダプテーションを作り手側も意欲的に先導したのだ。
DCの映画という形式へのこだわりは、こうして『スーパーマン』が示したアプローチを伝統的、ならびに体質的に受け継いだものといえる。
そんなDCEUも、現況MCUと同じようにストーリー・アークを展開させているが、それが必ずしも上手くいっているとは言い難い。その証拠に『 ジャスティス・リーグ』(17)ではザック・スナイダー監督の途中降板を受けて、先述した『アベンジャーズ』のジョス・ウェドンが監督を後任。これなどは「マーベルのストーリー・アークのノウハウを取り入れようとするテコ入れなのでは?」という解釈を成り立たせる。
もちろん、マーベルも映画的なスケールの創出には存分に配慮しているし、むしろDCの『スーパーマン』で確立されたフォーマットは、MCUにとっても重要な、アメコミ実写映画化のガイドといえるだろう。だがテレビドラマに倣ったMCUのストーリー・アークの成功は、DCの映画を基調とする姿勢と比べることで、よりその輪郭が明らかになってくるのだ。
参考文献
David M. Petrou“THE MAKING OF SUPERMAN”Warner Books(1978)
DVD-BOX“Hill Street Blues:The Complete Series”booklet Shout! Factory
出典:
http://deadline.com/2016/06/produced-by-anthony-and-joe-russo-captain-america-civil-war-1201767648/
https://www.hollywoodreporter.com/news/russo-brothers-form-production-venture-924191
映画評論家&ライター。主な執筆先は紙媒体に「フィギュア王」「チャンピオンRED」「映画秘宝」「熱風」、Webメディアに「映画.com」「ザ・シネマ」などがある。加えて劇場用パンフレットや映画ムック本、DVD&Blu-rayソフトのブックレットにも解説・論考を数多く寄稿。また“ドリー・尾崎”の名義でシネマ芸人ユニット[映画ガチンコ兄弟]を組み、TVやトークイベントにも出没。
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』
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4月27日(金)全国ロードショー
※2018年5月記事掲載時の情報です。