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『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』「MCU」という固有のジャンルを映画史に築いた記念碑的作品
2018.04.28
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』あらすじ
6つすべてを手に入れると世界を滅ぼす無限大の力を得るインフィニティ・ストーン。その究極の力を秘めた石を狙う“最凶”にして最悪の敵<ラスボス>サノスを倒すため、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、スパイダーマンら最強ヒーローチーム“アベンジャーズ”が集結。人類の命運をかけた壮絶なバトルの幕が開ける。果たして、彼らは人類を救えるのか?
Index
- サノスの絶望的なまでの最強感と、力の序列を表す好演出の数々
- 観る者を混乱させない、芸術のようなレイアウトのアクションシーン
- もはやアメコミ実写映画という狭義を超えた「MCU」という固有のジャンル
- 10年の歳月が生み出す、万感胸に迫る感慨
サノスの絶望的なまでの最強感と、力の序列を表す好演出の数々
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』にはいろいろな意味で恐れ入った。いや、なんという“どデカい”映画だろう。冒頭からクライマックスまで倍掛けで展開されていく、映画史上最高と噂される製作費に応じて規模の拡大したアクションステージの数々。日本の人気連載マンガや海外ドラマもケツをまくって逃げ出す、あらゆる展開における引きの強さで、観る者に心地よい疲労と充足感を与える、まさにマーベルによる「びっくり春のお年玉」だ。
なにより開巻、サノスというヴィランが持つ「圧倒さ」の視覚化に、いきなりの驚きを禁じ得ない。マーベルコミック最強のワルだと情報上は既知していても、映画においてそこは説得力を得られるものになっているのかーー? そんな懸念を本作はのっけから粉砕する。ただでさえ分裂だ離散だと「負け」の状況下にあるアベンジャーズを速攻で、さらに小さく畳み込もうとするのだ。巨大なCGのラスボスなんて、幼い女の子でさえ「映画プリキュア」で見飽きている現代、「この世はもうじきおしまいだ」を実感させるサノスは、久々にスクリーンの向こう側の虚像でありながら、我が身の危険さえ覚えてしまう存在として描写されているのである。
こうした全能的なキャラクターを切り札に出すと、ハードな科学性やポリティカルなドラマを標榜するシリーズが、論理もへったくれもないスーパーナチュラルな展開に片足を突っ込んだときの「そこ踏み越えたら、宇宙人でも神様でもなんでもアリだろ」的な気まずさを覚える場合がある、しかし本作は、MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)が長い年月をかけてジワジワと布石を打ってきたことが、ここにきての帰結となって最強サノスの存在感をガシッと支えるのだ。これはもうMCUという財産を長期で育ててきた、マーベルの戦略勝ちというほかない。
しかもサノスの配下であるブラックオーダーも無類の凶暴さで、アベンジャーズと互角の戦闘能力を要所要所で見せつける。「こいつらでさえこのレベルなのだから、その親分たるや」とばかりに、サノスの強さを表現するための序列や段取り、パワーインフレーションといったものに対し、それをいちいち納得させる務めを連中が果たしてくれるのだ。
ではサノスが、ただ強いだけで統率を図る脳ミソ筋肉キャラかと思えばさにあらずだ。彼のジェノサイド(虐殺)には自然界のバランスを正そうとする強者なりの論理がベースとしてあり、誰かにとっての正義は誰かにとっての悪事であるといった感じで、単純な善悪の二元論では割り切れない奥行きの深いヴィラン像を体現している。人によってはこれがなかなかに共感を覚える敵役だ。人智を超えたパワーを持つ者の苦悩は、ときとして常人には理解が及ばない。そんな強者特有の悲哀を、ジョシュ・ブローリンの苦みばしった表情が物語り、サノスをじつに魅力的なキャラクターへと昇華させている。