クロージング・ヴェルヴェッツ
『白鍵と黒鍵の間に』のほとんどのことはクラブやキャバレーの室内で起こる。まともに演奏が聞かれない光景に、南は慣れてしまっている。アーティストとして振る舞うことがここでは禁じられているのだ。生バンド演奏はクラブの格を上げるための「花瓶」のようなものにすぎない。対照的に銀座の街にやって来たばかりの博は、ペコペコとした低姿勢とは裏腹にミュージシャンとしてのプライドを隠そうとしない。クラブでの演奏空間は自己実現にほど近い天国であると同時に、自己犠牲を強いられる屈辱の世界でもある。新たにシンガーとして雇われたリサ(クリスタル・ケイ)のとる反抗的な態度は、南たちミュージシャンが銀座のマナーという仮面の下に隠している気持ちを代弁しているともいえる。冨永昌敬はクラブの演奏空間に最高と最低の両極を持ち込むことで、リアルとフェイクの間に人生を浮かび上がらせる。
思わぬ方向から音が重なり、ホステスたちがダンスを始める本作の演奏シーンは最高の出来栄えだ。ナイトクラブというラグジュアリー空間が音楽の魔法にかかっていく。「花瓶」に過ぎなかった音楽が、ついに主役の座を射止める。音と音が重なり初めて“音楽”となる決定的な瞬間が記録されている。演奏の合間に挿まれる台詞すらサントラ盤に収録された“音楽”のように聞こえてくる。演奏の上質さだけなく、この空間にこの俳優、このキャラクターたちがいるからこそ“ジャズ”になるのだ!と思わずにはいられない。ここには全能感がある。思えば本作のナイトクラブにはSF的な、どこか母親の胎内にいるような感覚がある。その意味で主人公の母親役を務めた洞口依子の存在は大きい。
『白鍵と黒鍵の間に』Ⓒ2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会
最高と最低の瞬間はセットでやってきて、“最低”という価値感を反転させる。クラブで演奏される「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を軸に始まった物語は、この曲のアレンジ、変奏によって夜明けのヒントを得る。本意でない演奏、プライドをかなぐり捨てた演奏、ゴミの中、フェイクの中に真実があることもあるのだ。それは人生の可笑しみに向けられた賛歌ともいえる。
筆者は南博のアルバムに収められた「クロージング・ヴェルヴェッツ」という曲を人生のある時期に繰り返し聞いていた。人生という幕の終わりの果てに、ヴェルヴェットに包まれた次の夜明けが来るのを予感させる美しい曲だ。千香子の「紙一重」という声の響きが80年代の銀座の夜にいつまでも漂い続けるように、本作で演奏される音楽そして主人公の口笛の響きは、いつまでも次の夜明けを待ち続けている。
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『白鍵と黒鍵の間に』
絶賛上映中
配給:東京テアトル
Ⓒ2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会