『白鍵と黒鍵の間に』あらすじ
昭和63年の年の瀬。夜の街・銀座では、ジャズピアニスト志望の博が場末のキャバレーでピアノを弾いていた。博はふらりと現れた謎の男にリクエストされて、“あの曲”こと「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を演奏するが、その曲が大きな災いを招くとは知る由もなかった。“あの曲”をリクエストしていいのは銀座界隈を牛耳る熊野会長だけ、演奏を許されているのも会長お気に入りの敏腕ピアニスト、南だけだった。夢を追う博と夢を見失った南。二人の運命はもつれ合い、先輩ピアニストの千香子、銀座のクラブバンドを仕切るバンマス・三木、アメリカ人のジャズ・シンガー、リサ、サックス奏者のK助らを巻き込みながら、予測不可能な“一夜”を迎えることに…。
Index
人生は紙一重
「先生が教えてくれたノンシャラントってさ、きっと紙一重なんだよ」
80年代の銀座の夜。ナイトクラブの入ったビルの屋上。千香子(仲里依紗)の助言がどれほど南(池松壮亮)の心に響いているのかを推し量ることはできない。しかし南がこの先どこへ行こうと、この夜の千香子の言葉を思い出すときは必ずやってくる。人生のどこかのタイミングで。すべてが忘れ去られそうになった頃に。星ひとつ見えない銀座の夜。ビルとビルの間の掃き溜め。香水や酒の香り。なにより腐臭を放つゴミ捨て場の匂い。それらと共に。千香子の助言には、そう確信させてくれるだけの言葉の響きがある。
『白鍵と黒鍵の間に』(23)は、自分が何をしているのか分からなくなった者の物語であり、なにより最上の音楽映画だ。これほど“セッション”という言葉を体現している映画もそうそうお目にかかれない。千香子の助言にすら音楽的な響きがあるように思えてくる。池松壮亮は、立ち姿や衣装、声のトーンの違いで南と博という二役を演じ分けている。刑務所から出所したばかりの“あいつ”を演じる森田剛は、低くドスの効いた、しかしハスキーで魅力的な声で役に挑んでいる。その声はただの危険な“あいつ”を表現しているだけに留まらない。どこにも身寄りのない流れ者の寂しさと同時に、どこかファニーな装いを声に纏わせることに成功している。まるで喜劇役者のように。本作のすべての役者たちの声は、80年代の銀座の夜に音楽のようなエコーをもたらしている。
『白鍵と黒鍵の間に』Ⓒ2023 南博/小学館/「白鍵と黒鍵の間に」製作委員会
南博のピアノの師匠、宅見(佐野史郎)の放った“ノンシャラント”という言葉について語る千香子の台詞は、かつて冨永昌敬監督が『パビリオン山椒魚』(06)の中で用いた「本物とか、偽物とか、どっちでもいいの」という台詞と響き合っているように思える。本物と偽物は紙一重。成功と失敗は紙一重。美しさと醜さは紙一重。芸術かゴミかは紙一重。そして白と黒の違いは紙一重にすぎないのだろう。