解放と禁止のはざまで
弓子を演じる北香那の所作には、特定の誰かというわけではないが、昔の日本映画の女優の佇まいがある。同じくいつの時代からやってきたのか分からないトリックスターのような雰囲気を持つ辻村俊介(柄本佑)との初対面のキッチンのシーン。和装姿で直立する弓子の周りを、挑発するように自由に動き回る辻村。そしてバーのシーンにおける弓子と辻村のやり取りの面白さ。辻村の動きと言葉の一つ一つに反応する弓子=北香那の所作には、『秋日和』(60)で舌を出したり、しゃっくりをしながら話す岡田茉莉子のような茶目っ気がある。
辻村を警戒して必要以上に距離を空けて歩く弓子の図も素晴らしい。『春画先生』は、コミカルな演出と発話のリズムに溢れている。芳賀は弓子の怒った顔が好きだと言う。そして簡単に人前で見せないよう助言する。あまりに魅力的だから。辻村だけでなく芳賀も、そして一葉(圧倒的な安達祐実!)さえも弓子の魅力を引き出す手品師のように思えてくる。
『春画先生』Ⓒ2023「春画先生」製作委員会
翻弄させる者と翻弄される者、挑発する者と挑発される者。キャスト陣の演技による相互作用は、物語の構造と深く結びついている。どんどん魅力が引き出され自分の欲望を解放していく弓子とは対照的に、妻を亡くしてから恋愛断ちをしている芳賀は誰よりも欲望から逃げている。自分にリミッターかけている者、感情を隠している者が、誰かの感情のリミッターを外していく。本作にはリミッターをかけることで生まれる官能と、リミッターを振り切ることの官能がコインの裏表のように描かれている。愛の刑苦。解放と禁止のはざまで。芳賀は聴覚だけを頼りにする官能を知っている。なにかを隠す、禁止することで生まれる官能だ。ここには本作が弓子の息遣いを強調する理由がある。