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『美女と野獣』私の野獣、一輪の薔薇の花が変えた運命

© 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau

『美女と野獣』私の野獣、一輪の薔薇の花が変えた運命

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『美女と野獣』あらすじ

美しく気立ての良い娘ベルは、口やかましい姉たちに召使いのようにこき使われているが文句も言わず、家事をこなす日々。ある日、商人の父が旅の途中、無人の古城に迷い込む。庭園の美しい一輪のバラを手折ると野獣が現れ、商人の命をもらうと脅したが、命の代償として娘の一人を差し出すよう命じる。迷わず城へ向かったベルは、野獣の姿に最初は驚くが、次第にその優しさに心を開いていく……。


Index


私の野獣を返して!



「私の野獣を返して!」(グレタ・ガルボ)

「私の美しい野獣はどこ?」(マレーネ・ディートリヒ)


 ジャン・コクトーの『美女と野獣』(46)を見たグレタ・ガルボは、スクリーンに向かって「私の野獣を返して!」と叫んだことが伝えられている。また、本作のプレミア試写に駆け付けたマレーネ・ディートリヒは、隣の席に座ったジャン・コクトーの手を握り締めながら「私の野獣はどこ?」と尋ねている。いずれも野獣の呪いが解け、美しい王子に姿を変えたシーンでの反応だ。情熱的ともいえるこれらの反応は、この映画の本質を見事に射抜いている。


 本来の王子の姿を見たヒロインのベル(ジョゼット・デイ)は明らかに戸惑っている。ベルは野獣を愛していたことを隠さない。野獣の「あなた」は、王子の「あなた」よりも美しかったのだ。ジャン・コクトーの狙いは、野獣をあらゆる男性よりも魅力的に撮ることだったという。野獣がいなくなったことを嘆いたグレタ・ガルボやマレーネ・ディートリヒの反応は、ジャン・コクトーにとってこれ以上ない賞賛となったはずだ。


ジャン・コクトー映画祭予告


 『悲恋』(43)等の脚本を手掛け映画との関わりを持っていたものの、映画作家としてのジャン・コクトーには『詩人の血』(32)から『美女と野獣』が公開されるまで14年のブランクがある。本作の撮影日記には、演出家としての再活動することの不安が率直に語られている。実験映画の趣が強い美しい中編『詩人の血』、それとは大きく違う『美女と野獣』は、当時の恋人だったジャン・マレーのために撮った映画といえる。ジャン・マレーは「美女と野獣」の原作の思い出を次のように語っている。


「子供のころからぼくは、赤と金の表紙の《バラ文庫》で、ペローと並んでいた『美女と野獣』に魅せられていた。この話の中の超自然が、自然に思えた。いまでもそう思う」*1


 ジャン・コクトーは、ギュスターヴ・ドレの挿絵や版画、フェルメールの絵画を参照に『美女と野獣』のイメージを膨らませていく。そしてジャン・マレーの記憶に倣うように、現実のすぐ隣に生まれた「詩の風景」として、このフェアリーテールを撮っている。本作で野獣、アヴナン、王子の三役を務めたジャン・マレー。毎日5時間をかけたという野獣のメイクは、本作に出てくるどの男性よりも豊かな表情をしている。




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