撮影日記
ジャン・コクトーは映画における時間を、現在でも未来でも過去でもない映画特有の時間と定義した上で、「無時間」を描くことに執着していた。伝説的な作品『詩人の血』における重力の異常を呼び起こす空間。重力に異常のある世界で、主人公は壁沿いを這うように、あるいは舞うように動く。スタジオの床に壁のセットを作って上から撮影したトリック撮影。俳優の身体は磁石のような壁と接着している。この不自由な動きは、『オルフェ』(50)で風に飛ばされる身体として応用されている。そして『オルフェ』では、鏡を通り抜けると生と死の間にある「無時間」の世界が待っている。どの時制にも属さない鏡の中の世界で、ガラス売りが通り過ぎるというユーモア。ジャン・コクトーは『オルフェの遺言-私に何故と問い給うな-』(60)において、時空を彷徨う詩人を自ら演じている。直接的に自己言及的な作品だが、自己言及的であればあるほど、ジャン・コクトーの「秘密」は見えなくなっていく。
『美女と野獣』の撮影日記を読むと、ジャン・コクトーがジョルジュ・メリエス的な舞台装置の想像力以上に、映画のドキュメンタリー性を信じている人だということが分かる。「美女と野獣-ある映画の日記-」は、戦後の困難の中で撮影をする戦いの記録であり、撮影中にジャン・コクトーを襲った闘病日記でもある。しかし日記の記述から分かることは、ジャン・コクトーという映画作家は、カメラが決定的な瞬間を捉えるまで待つ人であるということだ。その意味で『オルフェ』を評す際、メリエスとリュミエール兄弟を同時に並べたジャン=リュック・ゴダールの見解は圧倒的に正しい。
彫像の動く瞳。妖精が握る蝋燭。空間を自由に行き来できる魔法の手袋。ジャン・コクトーは、美術的な装置を駆使しつつ、詩が自ずから生まれてくるのを待ち続ける。『美女と野獣』のカメラマンを手掛けたアンリ・アルカンは、ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』(87)における天使の羽の描写で、このときの体験を応用することになる。技術が進歩しても、カメラの中で手作りのエフェクトを生んでいくことを好んでいたアンリ・アルカンは、「効果を生み出した人間と同じ感情を観客に抱いてもらいたかった」と語っている。