足音のない世界で
「撮影のときには”用意”の声と”カット”の声のあいだは心臓が止まっている」(ジャン・コクトー)*2
馬に乗ったベルの父親が夜の森の中を駆け抜け、野獣の古城へと導かれていく一連のショットが素晴らしい。深い霧と影によって刻印された野獣の夜。ティム・バートンやギレルモ・デル・トロが描くゴシック調の原型にして理想形の画面がここにはある。そして古城へ入っていく父親は、この世のものとは思えない幻想空間を体験する。
古城へ向かう際の不穏な音楽から一変して、ジャン・コクトーは古城の内部における音声を不自然なくらいに消し去っている。野獣の住むこの古城では足音は響かない。コクトー芸術が華開くこのシーンには、サイレント映画のような趣がある。このことは、自分の人生と映画の誕生の歴史を同時代的な歩みとして捉えていたジャン・コクトーの発言と重なっている。古城の冷的な空間に響く時計の鐘の音は、恐怖に怯える父親の心臓の音とイメージを重ねる。心臓の身代わりとして響く鐘の音。
『美女と野獣』© 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau
野獣が大事にしている薔薇を摘み取った、父親の身代わりとして、ベルが古城に送られる。ベルは自ら望んで身代わりとなっている。興味深いのは、父親が森を抜けていくときの不穏な音楽と違い、ベルが森を抜けるときにかかる音楽がファンタジックな響きを持ったワクワクするような音楽であることだろう。
陰影を強調した撮影のせいか、古城に入ったベルは舞台の上を浮遊しているように見える。スローモーションで捉えられたジョゼット・デイの舞うような動きの美しさ。風になびく白いカーテンが放つ幽玄の美。そして何かに導かれるようにこの廊下を進んでいくベルの自動歩行。足音のない世界。この世でもあの世でもない「無時間」の空間。