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『美女と野獣』私の野獣、一輪の薔薇の花が変えた運命

© 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau

『美女と野獣』私の野獣、一輪の薔薇の花が変えた運命

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薔薇の香り



 主導権を握るベルと弱い者としての野獣の図は、ベルが野獣に水を与えるシーンでその構図を予兆させていく。このシーンが豊かなのは、ベルがまるでペットに水を与えているように見えるのと同時に、ベルが直接手で水を汲んで野獣がそれを飲むという二人の図が極めてエロティックでもあるからだ。主導権は反転する。あるいは外見のイメージでそう見えていただけであって、主導権は初めからベルにあったのかもしれない。家に帰るよう願いを請うベルに対して、野獣は怒気を滲ませた声をあげる。野獣はベルのお願いに怒ったわけではない。野獣の答えは悲痛なまでに彼女への忠誠心に貫かれている。「跪いて命令を仰ぐのは私だ」。


 命を賭けてベルの帰還を待つ野獣。そして姫様の装いを整えたベルは、自宅のベッドで野獣の姿を思うようになる。このとき野獣に思いを募らすベルの感情は、グレタ・ガルボとマレーネ・ディートリヒ、そして野獣を愛さずにいられないすべての観客の感情を代弁することになる。「私の野獣を返して!」。


 『美女と野獣』の血脈は、ジャック・リヴェットのとりわけ『デュエル』(76)のような作品に受け継がれている。「私をその目で見るな」。この台詞にレオス・カラックスの『アネット』(21)との強い関係性を見ることもできるだろう。


 本作の血は現在進行形で誰かの人生を狂わせている。恐怖に魅せられたベル。ベルの瞳の光を避ける野獣。『美女と野獣』におけるロマンとは、誤って射抜かれた矢のように死と数センチしか違わないものだ。一輪の薔薇の花が変えた運命は、その香りを永遠にフィルムに留め続けている。


*1 「私のジャン・コクトー 想像を絶する詩人の肖像」(ジャン・マレー著/東京創元社)

*2 「映画について」(ジャン・コクトー著/フィルムアート社)



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。




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作品情報を見る



『美女と野獣』

「没後60年 ジャン・コクトー映画祭」

YEBISU GAEDEN CINEMAにて開催中 ほか全国順次ロードショー

配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

© 1946 SNC (GROUPE M6)/Comité Cocteau

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