『麻希のいる世界』あらすじ
重い持病を抱え、ただ“生きていること”だけを求められて生きてきた高校2年生の由希は、ある日、海岸で麻希という同年代の少女と運命的に出会う。男がらみの悪い噂に包まれた麻希は周囲に疎まれ、嫌われていたが、世間のすべてを敵に回しても構わないというその勝気なふるまいは由希にとっての生きるよすがとなり、ふたりはいつしか行動を共にする。ふと口ずさんだ麻希の美しい歌声に、由希はその声で世界を見返すべくバンドの結成を試みる。一方で由希を秘かに慕う軽音部の祐介は、由希を麻希から引き離そうとやっきになるが、結局は彼女たちの音楽作りに荷担する。彼女たちの音楽は果たして世界に響かんとする。しかし由希、麻希、祐介、それぞれの関係、それぞれの想いが交錯し、惹かれて近づくほどに、その関係性は脆く崩れ去る予感を高まらせ──。
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戦闘する女・自傷する女
塩田明彦監督『麻希のいる世界』は、青野由希(新谷ゆづみ)の迷いのある足取りから始まる。本当にここから離れてしまっていいのか自問しているかのような少女の足取り。やがて小屋から出てきた少女を発見した由希の足取りからは一切の迷いが消えていく。由希の瞳が牧野麻希(日髙麻鈴)の姿を捉えたからだ。由希は麻希を執拗にストーキングする。この一連の運命的な画面の連鎖は、麻希の才能が発見される遥か以前、もっと言えばこの映画が立ち上がる以前から、由希による麻希への強烈な執着が始まっていたかのような印象を与える。そしてたった一度のアイコンタクトによる、ほとんど暴力的としかいいようのない情念の噴出こそが、塩田明彦の登場人物たちが抱える強迫観念と共振していく。
由希は麻希を発見してしまった。由希は囚われてしまう。自分でもコントロールできない狂い咲きの情念に。映画の開巻早々にキリを手に取って、狂ったように机を突き刺していた、同じく塩田明彦監督による『カナリア』(04)の少年(石田法嗣)のように、迷いの消えた由希の足取りの進むべき「物語」が、ここで決定付けられる。
『麻希のいる世界』予告
さらに、『麻希のいる世界』において初めて由希の発話がある瞬間は、由希が自転車を暴力的に倒して、祐介(窪塚愛流)に歯向かっていくシーンだ。血走った目をした由希の衝動。由希に負けじと応戦する祐介の目も、同じように血走っている。本作の主要人物たる三人の高校生は、血走った目をしているか、あるいは不安定な目をしているか、そのどちらかしかない。それは麻希が刻むギターのリフのようにザクザクとした感触をフィルムに刻んでいく。
『風に濡れた女』(16)の男女は、アクロバティックに身体と身体をぶつけ合う(傷つけ合う)ラブバトルを展開していたが、『麻希のいる世界』では、それぞれが身体的、あるいは精神的な距離の「間合い」によってバトルが展開されているかのようだ。由希が校庭のベンチに座って麻希との間にある「間合い」を測るショットは、反復されることでその時々における麻希との現在位置を確認するショットになっている。しかし、それは敢えて麻希の不在を確認するような、自傷的な距離、自分自身の確かめ方でもある。由希にとって戦闘と自傷は、常に表裏一体の関係にある。
では由希をこの戦いに駆り立てるバックグラウンドとは何なのか?