彼女たちの舞台、代償の行方
「生きてる子は覚えてない。覚えてる子はみんな死んじゃった」
由希と同じ施設で育った優子(鎌田らい樹)は、「覚えてない子」にならないように由希と互いの存在を確認し合う。『抱きしめたい -真実の物語-』(14)で記憶障害を抱えたつかさ(北川景子)が、周囲に明るく振舞うことで、忘れてしまうことの悲しみを隠していたのに対して、『麻希のいる世界』の少女たちは、ただひたすら無防備に傷ついていく。彼女たちは生きた証を求めている。
しかし由希は、渦巻く衝動の大きさに身体のサイズが追いつけず、ステージで渾身の演奏を終えたミュージシャンのように何度も倒れてしまう。彼女たちの舞台。『麻希のいる世界』では、眠りについた由希の寝顔を捉えるクローズアップが反復される。渾身の「舞台」を終えた由希が再び目覚めるときの表情。このショットが美しいのは、目を覚ます度に新たな自分を作り直そうとする彼女の「転生」をそこに読み取ることができるからだ。
『麻希のいる世界』(c)SHIMAFILMS
麻希の音楽の録音を、祐介が編集する。麻希は、洗練されてしまった録音に納得がいかない。そこには土足のまま部屋に入って、そのまま掴み合いの喧嘩をするような由希の衝動が綺麗に消されていた。由希と麻希の鏡像関係においては、生きた記録が残されないことは許されないのだ。麻希の刻むザクザクとしてローファイなギターのリフは、漂白されてしまった世界に抵抗している。
『麻希のいる世界』は、行き過ぎてしまった感情を「映画の疼き」として記録に残す。三人の高校生たちの衝動が正しかったのか間違っていたのかは問題ではない。疼きは疼きとして、その魂の行方を永遠にフィルムの中にとどめ続ける。
由希はこの先も新たな自分を作り直すかもしれないし、そうできないかもしれない。とどまるか、なくなるか。しかし、彼女たちは「映画の疼き」をギターのリフのようにフレームに刻んでいくことで、この世界にとどまることを選び、少なくとも誰かの心の中にとどまり続けることに成功したのだ。
映画批評。ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『麻希のいる世界』
2022年1月29日(土)より渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館ほかにて公開
(c)SHIMAFILMS