2017.08.19
その役柄、脚本上は“天使”だった!?
本作はクリスマス・イブの5週間前からスタートする。街のイルミネーションが色づいていくのに従って自分の素直な心に耳を傾ける機会も増え、他人との距離も少しずつ縮まっていくこの季節。英国を代表する豪華俳優陣が入り乱れる中で、ローワン・アトキンソンが担うのは非常に“おいしい役柄”と言える。その登場はわずか2シーンのみ。初めは高級デパートのセルフリッジの宝石売り場の店員として。そしてもう一つはクライマックス、空港の手荷物検査場で時間を稼いで、少年が出発ロビーへと忍び込む手助けをする。
実はここに知られざる舞台裏のエピソードが隠されている。実は当初、アトキンソンの役柄は彼と接する人以外には“見えない”設定だったというのだ。
なぜなら、彼の役柄は脚本上で紛れもない“天使”だったから。クリスマスには奇跡がつきものだが、本作では一回もサンタクロースが登場しない代わりに、こうして神様から地上へと遣わされてきた天使によるさりげない奇跡が、(特にクライマックスで)最後のパズルの1ピースをはめ合わせるかのように機能していく、はずだったのである。撮影時にはラストにアトキンソンがフッと消えるシーンまで撮影されたそうだ。しかしここで土壇場の判断が下され、天使が消えていくシーンはカットとなり、彼が天使だったという設定も無くなった。
『ラブ・アクチュアリー』(c)Photofest / Getty Images
カーティスはその判断について「総勢20人を超える俳優たちが登場する中で天使という“超常的な要素”を持ち込むと物語が複雑になりすぎてしまう気がしたんだ」と語っている。なるほど、「Mr.ビーン(アトキンソン)が天使だった」という流れは絵的には全然ありかもしれないが、確かにストーリー展開を考えると非常に安易すぎる気もしてくる。
だって、登場人物たちが誰もが必死に奔走する中で、最後の結果をもたらしたものが“天使による奇跡”だったとしたら、彼らの努力はなんだったの?という話になってしまう。おそらくカーティスはここを変えたかったのだろう。天使や奇跡という要素を取り除くことで、むしろ20人を超える登場人物たち一人一人を輝かせようとした。それぞれが真心をあらわにし、結末に向けてしっかりと勇気と情熱を振り絞る姿こそを映し撮ろうとしたわけである。
これは本作が日常の何気ない幸せや光と影をやさしく包み込む上でとても重要な決断となりえたのではないだろうか。結果的に願いが叶う人、叶わない人が入り乱れる作品ではあるが、それぞれが努力した結果なので、皆が晴れやかな笑顔を浮かべている。ある意味、ローワン・アトキンソンを天使から人間へと降格させることによって、本作は普遍的な人間賛歌として、「全員が主人公」の群像劇として、見事に完成したのである。