©2001 3H Productions / Paradis Films / Orly Films/SinoMovie.com
『ミレニアム・マンボ』音速の徒花、夜の破片を追いかける
フラワーズ・オブ・タイペイ
ゆっくりと行ったり来たりを繰り返すフレーミング。『ミレニアム・マンボ』では、ヴィッキーをはじめとする登場人物がフレームの中に入ったり出たりを繰り返すばかりか、無人の画面になることもしばしばある。しかもどのショットも美学的にまったく崩れないという神技のようなカメラワークだ。
全編室内撮影で高級遊郭の煌びやかな装飾品に彩られた『フラワーズ・オブ・シャンハイ』(98)。『ミレニアム・マンボ』はエクストリームな形で完成された『フラワーズ・オブ・シャンハイ』のスタイルの応用といえるが、見れば見るほど、どうやって撮ったのかまったく分からなくなる。一つのショットの中で次々と視点が変わっていくだけでなく、このカメラワークは私たちの視覚の“散漫さ”をも取り込んでいる。私たちは常に一点を見ているわけではない。誰かと話しているときでさえ、ほとんど意識・無意識にどこか別のところに視点を移していたりする。多孔的なカメラワーク。本作の特異なスタイルを示すショットは、ヴィッキーとハオの住む部屋で早速披露される。
『ミレニアム・マンボ 4Kレストア版』©2001 3H Productions / Paradis Films / Orly Films/SinoMovie.com
クラブから帰ってきたヴィッキーにハオが絡んでいく。DJのハオとヴィッキーが共同生活をする部屋は、そのままクラブの延長にあるような部屋だ。服を脱ぎ、部屋着になり、コップに酒を注ぎ、タバコに火を点けるヴィッキー。ヴィッキーが奥の部屋から手前の部屋へ、右から左へ移動していく挙動をカメラは漂うように追っていく。ハオがヴィッキーの首元にキスをする。ヴィッキーはキスをされながらタバコに火を点ける。このときのエレガントなまでの“無関心”!ヴィッキーは体を求めてくるハオを面倒に思っている。首元へのキスを止めないハオ。キスをされながらコップを手に取り、酒を口にするヴィッキー。ハオはヴィッキーを支配下に置きたがる。脚を開くことを命令されるヴィッキー。テーブルという視覚的な障害物を手前に置きながら、カメラは二人の身振りの一部始終を覗き見的に捉え続ける。このシーンのヴィッキーには、まるで岡崎京子の漫画に出てくる女性のような乾いたクールさがある。
『フラワーズ・オブ・シャンハイ』が高級娼館に囚われた女性の物語ならば、『ミレニアム・マンボ』は台北という都市に囚われた女性の物語だ。上海の花ならぬ、台北の花。この二つの傑作の間にはスタイルと主題の間に呼応関係がある。ヴィッキーがどれだけ無目的に生きていようと、時間は容赦なく過ぎ去っていく。停滞しているような怠惰な時間の中にも動きがある。『ミレニアム・マンボ』の恐ろしいほど独創的なカメラワークには、過ぎ去っていくもの、見過ごされてしまうものを注意深く捉えると同時に、私たちの瞳の注意力と同じ散漫さを捉え続ける。私たちはヴィッキーと同じように、過ぎ去っていく時間に気づくことができない。