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『夕陽のガンマン』「ドル3部作」で最も過小評価されている傑作西部劇

(c)Photofest / Getty Images

『夕陽のガンマン』「ドル3部作」で最も過小評価されている傑作西部劇

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相反する要素を巧みに入れ込むレオーネ演出



 『荒野の用心棒』でその才能を遺憾なく発揮したセルジオ・レオーネの演出は、この『夕陽のガンマン』でも絶好調。筆者が最初に本作を観たとき、強烈に脳裏に焼きついたのが、モーティマー大佐が1,000ドルの賞金首を銃で倒すシーンである。慌てふためいて宿の二階から逃げる男、ゆったりとした足取りでそれを追いかける大佐。敵が無闇矢鱈に銃を撃ちまくっても、泰然とした態度で狙いを定め、正確に額を撃ち抜く。<早さ>と<遅さ>。二人の佇まいの対比が見事だ。


 怪我の影響で、リー・ヴァン・クリーフがゆっくりしか歩けないという物理的制約もあったのだろうが、それすらもレオーネ節として納得させてしまう演出にシビれる。殺し屋の極端なクローズアップをスクリーンいっぱいに映し出したあと、遠方から馬でやってくる男たちの小さなシルエットをインサートする『続・夕陽のガンマン』。3人の殺し屋が駅で列車を待つ様子を延々と描いたあとに、壮絶な銃撃戦をインサートする『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(68)。<極大>と<極小>、<永遠>と<一瞬>。セルジオ・レオーネは相反する要素を巧みに入れ込んで、豊かな映画体験を創造する。


 そして画面を支配する、リー・ヴァン・クリーフの顔力。冒頭の列車のシーンでは、向かいに座った男を鋭い眼光で威圧。クライマックスで強盗団のリーダー・インディオ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)と一騎打ちする場面でも、これでもかというくらいに、彼のクローズアップが映し出される。



『夕陽のガンマン』(c)Photofest / Getty Images


 極め付けは、インディオの指名手配書と、それを見つけたリー・ヴァン・クリーフを、バキューンバキューンと銃声音を鳴り響かせながらカットバックさせるという、レオーネ節が唸りをあげるシーン。彫りの深い顔、猛禽類のような眼差しだからこそ、こんなエキセントリック演出も納得させられてしまう。レオーネ映画には常に「男の顔は履歴書」のようなオーラが漂っているが、そのなかでもミスター・クリーフの存在感は際立っている。


 もうひとつ『夕陽のガンマン』で特筆すべきは、懐中時計から流れるオルゴールのメロディ。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』で、謎の男(チャールズ・ブロンソン)が吹くハーモニカが不吉な影を落としていたように、しばしばセルジオ・レオーネの映画では、劇中で流れるメロディが物語に大きな推進力を与える。


 インディオにはかつて激しく愛した女性がいた。夫を殺害してまで我がものにしようとするが、彼女は自ら死を選ぶ。その強烈なトラウマが、血も涙もない殺戮者としてのインディオを形成したのかもしれない。そして彼女は、モーティマー大佐にとっても大切な存在だった。二人の対決は、今は亡き女性をめぐる戦いでもある。哀しき記憶を蘇らせる装置として、懐中時計から流れるオルゴールは重要なモチーフ。レオーネの盟友エンニオ・モリコーネが奏でる切ないメロディが、乾いた西部劇を少しだけ湿らせ、そっとセンチメンタリズムを忍ばせる。


 「ドル3部作」で最も過小評価されている傑作西部劇、『夕陽のガンマン』。その核となるのは、『荒野の用心棒』でイーストウッドが体現するヒロイズムではなく、『続・夕陽のガンマン』でイーライ・ウォラックが醸し出すユーモアでもなく、リー・ヴァン・クリーフの眼差しの奥に宿るセンチメンタリズムなのである。


*1)https://www.rogerebert.com/reviews/for-a-few-dollars-more-1967

参考文献「セルジオ・レオーネ―西部劇神話を撃ったイタリアの悪童」(鬼塚大輔 訳、フィルムアート社)



文:竹島ルイ

映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。








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