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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』3つの偉大な才能によって生まれた、壮大なる西部劇へのオマージュ

(c)Photofest / Getty Images

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』3つの偉大な才能によって生まれた、壮大なる西部劇へのオマージュ

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『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』あらすじ

大陸横断鉄道敷設によって新たな文明の波が押し寄せていた西部開拓期。ニューオーリンズから西部に嫁いできた元高級娼婦のジルは、何者かに家族全員を殺され、広大な荒地の相続人となる。莫大な価値を秘めた土地の利権を巡り、彼女は、冷酷な殺し屋、強盗団のボス、ハーモニカを奏でるガンマンらの血生臭い抗争に巻き込まれていく。


Index


ベルトルッチとアルジェント。レオーネに見出された若き才能



 『荒野の用心棒』(64)、『夕陽のガンマン』(65)、『続・夕陽のガンマン』(66)。クリント・イーストウッドと組んだ「ドル箱三部作」を区切りにして、セルジオ・レオーネは西部劇から手を引こうと考えていた。彼は、ハリー・グレイが書いた半自伝的小説「The Hoods」に触発され、ユダヤ系ギャングたちの物語を描こうと考えていたのだ。


 レオーネは、『続・夕陽のガンマン』が完成するやすぐシナリオに取りかかったのだが、プロジェクトは遅々として進まない。それもそのはず、マカロニ・ウェスタンの父とまで称された男がいきなりギャング映画を撮ることに、どこの映画会社も及び腰だったのだ。結局レオーネは、念願の企画を一旦棚上げにして、再び西部劇の製作に舵を切ることにする(そこからおよそ20年という歳月を経て、彼の夢は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)という作品で結実することになる)。


『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』予告


 「ドル箱三部作」の焼き直しを作る気は毛頭なかったレオーネは、ストーリーの開発に新しい才能を迎えることにした。その1人は、ベルナルド・ベルトルッチ。後に『ラストエンペラー』(87)でアカデミー賞を獲得することになる、世界的巨匠である。ピエル・パオロ・パゾリーニ原案を元にした『殺し』(62)で映画監督デビューを果たし、続く第2作『革命前夜』(64)がカンヌ国際映画祭の新進批評家賞を受賞。批評家からは高い評価を得たものの映画は全くヒットせず、当時は不遇の時代を送っていた。そんなとき、ベルトルッチはレオーネと運命的な出会いを果たす。


 「ある日、『続・夕陽のガンマン』を見に行った。初日の第一回目で、観客は十人ほどだった。セルジオ・レオーネが、映写室に技師と一緒に入っていて、私の姿を認めたのです。翌日、気に入ったかとどうかと電話をかけてきた。私は大いに気に入ったと言うと、なぜかと訊く。馬の尻の撮り方がいいと答えた。ヨーロッパの監督で君だけが、馬を正面や横からだけでなく、後ろからも撮っていると説明した。彼はしばらく黙った後、こう言った。一緒に映画をやるべきだと」(ベルナルド・ベルトルッチへのインタビューより引用*)


 もう1人は、ダリオ・アルジェント。『サスペリア』(77)や『フェノミナ』(85)で知られる、イタリアン・ホラーの帝王だ。当時は新聞紙で映画批評を書いていて、『荒野の用心棒』と『夕陽のガンマン』に絶賛評を寄せたことをきっかけに、レオーネと知己を得るようになっていた。


 「ぼくたちはいろいろなことを話し合った。私が映画を死ぬほど愛していることを知って彼は驚いていたよ。(中略)レオーネは私と映画の話をしたがったし、もちろん私の方もそれが楽しくてしょうがなかった」(ダリオ・アルジェントへのインタビューより引用*)


 ベルナルド・ベルトルッチとダリオ・アルジェント。イタリア映画界の若き才能と共に、セルジオ・レオーネは新しい西部劇の創造に乗り出す。その作品こそが、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(旧劇場公開時の邦題は『ウエスタン』)だった。




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