2022.01.19
乾いたリアリズムと強烈な様式美
筆者が『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』に心惹かれる最大の理由は、その“緩慢さ”にある。セリフがなく、さしたる事件も起こらないシーンが延々と続く、独特のタイム感。特筆すべきは、やはり3人の男たちが駅で列車を待つ様子を延々と描くオープニングだろう。天井から滴り落ちる雨水を、カウボーイハットで受け止める。指の股関節を、ポキポキと鳴らす。顔にまとわりついたハエを、口で吹いて追い払おうとする。画面に映し出されるのは、悪党面のクローズアップばかり。初見で観たときは仰天したものだ。
当初は、盟友エンニオ・モリコーネが作曲したスコアがこのオープニングに使われる予定だった。確かに彼の壮大なメロディーは、このシーンに詩情性を与えたことだろう。だがレオーネはあえて劇伴を外し、風車の軋み、飛び交うハエの音、列車の汽笛といった環境音のみで組み立ててしまう。それによって無味乾燥としたリアリズムを生成させるばかりか、不穏なハーモニカのメロディーが際立つように計算したのだ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(c)Photofest / Getty Images
10分以上を費やして描かれる束の間の平和は、しかしながらコンマ何秒という銃撃戦によって終止符を迎える。永遠に続くかのようなアンチ・ドラマティック描写と、一瞬のドラマティック描写。緊張と緩和を極端なまでに対比させることで、セルジオ・レオーネの様式美がはっきりと刻印される。
ロケーションに関しては、スペインで撮影された「ドル箱三部作」とは異なり、この作品はアメリカでも撮影された。『駅馬車』(39)や『捜索者』など、数多くのジョン・フォード映画に登場する“西部劇の象徴的スポット”、モニュメント・バレーも登場する。セルジオ・レオーネ、ベルナルド・ベルトルッチ、ダリオ・アルジェントの3人は、西部劇の聖地で西部劇のオマージュを捧げた。そこに乾いたリアリズムと強烈な様式美を持ち込むことで、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』は、新たな西部劇の地平を切り拓いたのだ。
*「ベルナルド・ベルトルッチ頌 (シネアルバム)」(柳沢一博 訳、芳賀書店)
**「セルジオ・レオーネ―西部劇神話を撃ったイタリアの悪童」(鬼塚大輔 訳、フィルムアート社)
文:竹島ルイ
ヒットガールに蹴られたい、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」主宰。
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