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『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』失われていく子供時代、消えていく故郷

© IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)

『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』失われていく子供時代、消えていく故郷

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適合と断絶



 『エドガルド・モルターラ』は少年の物語であり、エドガルドの母マリアンナの物語でもある。エドガルドは教皇直属の兵士たちに連れ去られる際、マリアンナのスカートの中に隠れる。また子供時代のエドガルドは、就寝前にマリアンナとベッドのシーツにくるまりユダヤのシェマを唱えていた。息子を奪われたマリアンナは錯乱する。両親はエドガルドを取り戻そうとする。


 マルコ・ベロッキオの映画においては、錯乱状態にあるとき、または社会から“狂気”のレッテルを貼られるとき、登場人物には絶対的な超越性が生まれる。そこにはその行動を正しいかどうかジャッジすること以上のものがある。登場人物のオペラ的な過剰さが皮膚感覚で核心に迫ってくるのだ。マリアンナを演じるバルバラ・ロンキによる目の演技がいつまでも脳裏に焼き付く。


 キリスト教に染まっていくエドガルドにとって、教皇ピウス9世は新たな“父親”となっていく。敷地内でかくれんぼをするとき、エドガルドはピウス教皇の法衣の下に隠れる。ボローニャの家から連れ去られようとしているとき、マリアンナのスカートの下に隠れたあのときと符合するシーン。このユーモラスなシーンは、エドガルドの改宗、そして家族の変更が完了に向かっていることを残酷に告げている。エドガルドは教皇のことを慕っている。



『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』© IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)


 この頃のピウス教皇はイタリア統一へ向けて動き出す世論の敵だった。権力に執着するピウス教皇は寝台で割礼の儀式を受ける悪夢を見る。エドガルドの誘拐事件はユダヤ人のコミュニティをはじめ世論に激しく批難されていく。教皇国家の失墜。しかしピウス教皇は屈服しない。教皇にとっての正義は、キリスト教によってエドガルドを救うことだ。エドガルドの両親のために泣いた世の人々は、自分もまた彼の父親であることを忘れていると、実際の教皇ピウス9世は嘆いている。この問題の難しいところは、エドガルド自身の忠誠=故郷がどこにあるかということだろう。エドガルドの改宗、適合はすでに完了している。シーツの下でシェマを一人で唱えていたユダヤの少年はもうどこにもいない。


 『エドガルド・モルターラ』は信仰を批判するのではなく、宗教の制度を濫用する者を批判する。映画はイタリア統一に向けて大きな時代の変遷を迎える。悪魔に取り憑かれたようなエドガルドの錯乱ぶりに胸が引き裂かれる。エドガルドにとって両親と教皇はどちらも“真実”なのだろう。そこに合理性はない。だからこそマリアンナのスカートの中、寝台のシーツの中、教皇の法衣の中、たった一枚の布切れを隔てた断絶に取り返しのつかない人生が浮かび上がる。マルコ・ベロッキオは、断絶された犠牲者の痛みを映画にとどめ、この問題を過ぎ去った時代のものとしないようにしている。



文:宮代大嗣(maplecat-eve)

映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。



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作品情報を見る



『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』

4月26日(金)よりYEBISU GARDEN CINEMA、新宿シネマカリテ、

ヒューマントラストシネマ有楽町、T・ジョイPRINCE品川他にてロードショー中

配給:ファインフィルムズ

© IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)

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