© IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)
『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』失われていく子供時代、消えていく故郷
2024.05.02
『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』あらすじ
1858年、ボローニャのユダヤ人街で、教皇から派遣された兵士たちがモルターラ家に押し入る。枢機卿の命令で、何者かに洗礼を受けたとされる7歳になる息子エドガルドを連れ去りに来たのだ。取り乱したエドガルドの両親は、息子を取り戻すためにあらゆる手を尽くす。世論と国際的なユダヤ人社会に支えられ、モルターラ夫妻の闘いは急速に政治的な局面を迎える。しかし、教会とローマ教皇は、ますます揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じようとしなかった…。
Index
まなざしの超越性
狂信、犯罪、感情操作、権力への執着、消滅する王国。『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』(23)には、イタリアの巨匠マルコ・ベロッキオ監督がフィルモグラフィーを通してこだわってきたテーマが盛り込まれている。ボローニャのユダヤ人居住区。危険なほど澄み切った夜の空気。ただならぬ静けさに包まれた夜の街は、これから起こる重大な犯罪=誘拐の予兆を告げている。
7歳を迎えるエドガルド・モルターラ少年が歴史の波に呑み込まれていく。ユダヤ人として生まれたエドガルドは、何者かによる洗礼の秘跡により、家族と引き離され、カトリックとして生きていく。当時のカトリックの絶対的な原理により、洗礼を受けた者はキリスト教の家族によって育てられなければならない。政治的・宗教的な理由により、エドガルド少年の人生は取り返しのつかないものになっていく。エドガルドはキリスト教の世界に適合していく(適合はマルコ・ベロッキオが追いかけているテーマでもある)。いつしか少年は「キリストの兵士」となり、自分の“故郷”の輪郭を失っていく。失われていく少年時代。消滅していく王国。マルコ・ベロッキオは問う。少年の“故郷”は、いったいどこに行ってしまったのか。
『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』© IBC MOVIE / KAVAC FILM / AD VITAM PRODUCTION / MATCH FACTORY PRODUCTIONS (2023)
洗礼を受ける前、生まれたばかりのエドガルドの瞳は、ヘブライ語の祈りを唱える両親をまっすぐに凝視している。この赤ん坊の異様なほどまっすぐな瞳にはどこか恐ろしさがある。寝台から両親を凝視する際の視線の角度、三人の位置関係、構図がとても絵画的だ。マルコ・ベロッキオの映画における、まなざしの超越性。大傑作『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』(09)のヒロインの瞳の強さはすべてを超越していた。ムッソリーニの血走った瞳は狂信の戻れなさを決定づけていた。