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『違国日記』フレーズというメロディ、フレームというエコー

Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会

『違国日記』フレーズというメロディ、フレームというエコー

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とどまるかなくなるか



 瀬田なつきの撮る少女には絶対性がある。世界中のどの映画の中にも見ることのできない少女がここにいる。ひたすら明るい少女の輪郭には、儚さや自信のなさ、ぎこちなさや弾けるような大胆さを含めた刹那的な生の輝きが溢れている。『違国日記』では、無二の輝きを放つ早瀬憩だけなく、すべてのティーンの役者たちが掛け値なく素晴らしい。いったいどのような魔法をかければこのような自由な演技を引き出せるのだろうと感嘆するばかりだ。自由。映画において、いや、人生において、それはもっとも難しい問題だ。


 「足が長くなりたい~」と無邪気にアキレス腱を伸ばす朝。「世界を変える!」と元気にぐずぐずな宣言をする朝。朝とえみり(小宮山莉緒)が理想の自分像を語る体育館のシーンはあまりにも傑出している。目一杯の広角で撮られたフレームの中、二人の少女が自由に動き回る(可憐にクルッと回る身振りがアクセントになっている)。そして「怪獣のバラード」を歌いながら椅子に乗ってくるくると回る朝の姿には、瀬田なつき監督の映画美学校時代の短編『とどまるか なくなるか』(02)における、無軌道に部屋を動き回っていた少女のイメージが重なる。朝はぶっきらぼうに歌い踊る。“海を見―たーい、人を愛したい、怪獣にも心があるのさー!”



『違国日記』Ⓒ2024 ヤマシタトモコ・祥伝社/「違国日記」製作委員会


 筆者が瀬田作品に初めて出会ったのは、2000年代屈指の傑作だと信じている『彼方からの手紙』(08)だが、その頃から瀬田なつきの撮る少女には、他の映画作家が追いつけないような絶対性を感じている。そして『違国日記』には、この無二の輝きが縦横無尽に炸裂している。ここには待ち望んでいた瀬田なつきの映画がある。とにかく人を明るい気持ちにさせてくれる朝=早瀬憩という“自信のない爆弾娘”ぶり!来たるべき未来の世界において、自由が彼女と共にあることを願わずにいられない。まったくもってこの世界の可能性の塊なのだ。


 この作品は少女たちだけはない。かつての少女たち。新垣結衣の演じる槙生と夏帆の演じる醍醐にも、瀬田映画の魔法が宿っている。二人ともキャリアで培った技術を一旦どこかに置いてきたような瑞々しい演技を披露している。この映画のために自分を真っ白いキャンパスとして差し出しているかのようだ。これは本当に凄いことだと思う。醍醐=夏帆はこの作品にエネルギーを投下することに成功している。朝は大人の女性同士が“友だち”をしているのを生まれて初めて目撃する。醍醐のエネルギーが朝と槙生に伝染していく。三人による完璧なアンサンブルが生まれる。映画が動き始める。リズムが獲得される。“チーム・パオダン(包団)”の結成。三人で餃子作りを楽しんでいるだけのシーンが、これほど泣けるなんて!


 槙生と醍醐の間で交わされる身振りは、ティーンの頃の無邪気さと変わらないようで、まったく同じというわけではないだろう。しかし同じではないからこそ圧倒的な尊さがある。醍醐の帰り際、槙生は玄関で「ありがとう」と感謝を述べる。この何気ない一言の中にすべてが詰まっている。大人の女性が過ぎ去ったはずの無邪気さを演じてくれたこと。醍醐のエネルギーによって、これまでにない親密なケミストリーが三人の間に生まれたこと。槙生のことをある意味当人以上に知っている醍醐という親友への感謝。





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