2024.03.07
『すべての夜を思いだす』あらすじ
高度経済成長期と共に開発がはじまった、東京の郊外に位置する街、多摩ニュータウン。入居がはじまってから50年あまりたった今、この街には静かだけれど豊かな時間が流れている。春のある日のこと。誕生日を迎えた知珠は、友人から届いた引っ越しハガキを頼りに、ニュータウンの入り組んだ道を歩き始める。ガス検針員の早苗は、早朝から行方知らずになっている老人を探し、大学生の夏は、亡くなった友人が撮った写真の引き換え券を手に、友人の母に会いに行く。世代の違う3人の女性たちは、それぞれの理由で街を移動するなかで、街の記憶にふれ、知らない誰かのことを思いめぐらせる。
Index
音の形・記憶の形
途切れ途切れになっている子供の頃の記憶が、本当に自分の体験なのか、よく分からなくなることがある。視聴覚を含め、物の手触り、そのときの空気の匂い等、手掛かりとなりそうな記憶の欠片は確かにあるのだけど、一体全体なぜ自分がそのシチュエーションにいたのか、さっぱり思い出すことができない。その瞬間の記憶は強く残っているのに、付随する記憶がまるで思い出せない。もしかしたらこの記憶は大人になってから夢の中で見たものであって、実際には体験してないのかもしれない。まったく体験していないことを体験したのだと、ただただ勝手に思い込んでいるだけなのかもしれない。自分の中だけに広がる記憶の捏造。それはときに大いに不安にさせるが、同時に楽しくもある。あり得たかもしれない世界への可能性が開かれるような気がするからだ。
多摩ニュータウンを舞台にする清原惟監督の『すべての夜を思いだす』(22)は、夜明けの風景から始まる。まだ眠りから目を覚ましたばかりの街。歩行者のいない大通り。無人の公園。鳥の声。木々たちのざわめき。団地。マンションの前を掃除する人。少しずつ時間が経過していく。やがて陽光が降り注ぐ公園で、若者たちが音楽を演奏する風景が捉えられる。朗らかな会話や音楽が消え、上空を飛ぶ飛行機の音が重なっていく。そして再び風に揺れる木々のざわめき・・・。
『すべての夜を思いだす』©2022 PFFパートナーズ(ぴあ、ホリプロ、日活)/一般社団法人PFF
本作において街の音は、ふっと現れてはどこかへ消えていく。音が“クローズアップ”され、シャボン玉が割れるように消えていく。街の音を聞いているだけで心地がよい。ここには街との調和がある。そして本作は街の音、音の振動が、いったいどこに消えていくのか?ということを探求しているように思える。ふっと現れてはどこかへ消えていく音の粒に形はない。それは朧気な記憶、本当に体験したかどうかさえ怪しい記憶の破片とよく似ている。