二人の母親による映画
当初あまり乗り気ではなかったマチュー・ドゥミは、父親ジャック・ドゥミからの説得と、撮影中に好きなだけゲームをやっていいという条件で出演を決めている。アニエス・ヴァルダとジェーン・バーキンは子供たちの夏休みが終わるとすぐに、『アニエスV.によるジェーンB.』の撮影に戻っている。『カンフー・マスター!』には、たった一年で変わってしまう子供たちを記録しようとする、アニエス・ヴァルダとジェーン・バーキンという二人の母親による映画でもある。
二人の母親には共通点がある。ジェーン・バーキンはケイト・バリー、シャルロット・ゲンズブール、ルー・ドワイヨンと、それぞれ異なるパートナーとの間で子供を授かっている。アニエス・ヴァルダの娘ロザリー・ヴァルダと息子マチュー・ドゥミもまた異父姉弟だ。男の子の子供がいないジェーン・バーキンが想像する、小さな騎士=ジュリアンとの恋愛未満の恋愛が本作には描かれている。実際、マリー・ジェーン(ジェーン・バーキン)は14歳の娘のように恋に恋をすると同時に、ジュリアンの子供っぽい不遜な態度に対して母親のごとく叱責する。マリー・ジェーンの心の中では14歳の娘である自分と大人の女性である自分が目まぐるしく行き交っている。マリー・ジェーンが大人としての“社会的な役割”を反射的に示す瞬間は、ホテルのエレベーターの中で二人がケンカをするシーン、マリー・ジェーンに怒られ、思わず“子供”の表情になってしまうジュリアンによく表わされている。
『カンフーマスター!』©️ CINÉ TAMARAS / ReallyLikeFilms
ジュリアンは花束を抱えてマリー・ジェーンの家の玄関に立つ。ジュリアンは小さな王子様のように姫=マリー・ジェーンを迎える。求婚する騎士のように。いつもは子供っぽいジュリアンだが、大人ぶることへの興味は多分にある。同級生の着ている大人びたコートを見て、自分もこれを着れば大人の男性に近づけるような幻想を抱く。本作はマリー・ジェーンとジュリアンの恋に恋するような幻想が交差するところを描く。そして二人の幻想には幻滅が付いて回る。幻滅に直面したとき、二人はお互いの傷口を見て見ぬふりをしているように思える。しかし傷口は次第に大きくなっていく。この映画の作者があの恐ろしく不穏な傑作『幸福』(65)を撮った映画作家であることを忘れてはいけない。
『冬の旅』(85)に続いてスコアを手掛けたジョアンナ・ブリュドヴィッチによるヴァイオリンの不穏な音楽が、レ・リタ・ミツコの軽快なポップミュージックに移り変わる。本作の冒頭シーンは、まさしく憂鬱とバカ騒ぎの両極の間に産み落とされる本作の感情、その振り幅を表わしているといえる。