© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms
『ジェーンとシャルロット』母親であり永遠の娘であること
2023.08.08
『ジェーンとシャルロット』あらすじ
2018年、東京。シャルロット・ゲンズブールは、母であるジェーン・バーキンを見つめる撮影を開始した。これまで他者を前にしたときに付き纏う遠慮の様な感情が、母と娘の関係を歪なものにしてきた。自分たちの意志とは関係ないところで、距離を感じていた母娘。ジェーンがセルジュの元を離れ家を出て行った後、父の元で成長したシャルロットには、ジェーンに聞いておきたいことがあったのだ。3人の異父姉妹のこと、次女である自分より長女ケイトを愛していたのではという疑念、公人であり母であり女である彼女の半生とは一体どんなものだったのか。シャルロットはカメラのレンズを通して、初めて母親の真実と向き合うことになる。
Index
あなたを知るための口実
「シャルロットが私に興味を持ってくれたことは内心とても嬉しかったし、幸せだった...そう思わない母親がいるだろうか?」(ジェーン・バーキン)*1
小津安二郎の定宿として知られる茅ヶ崎館。ジェーン・バーキンとシャルロット・ゲンズブールがテーブルを挟んで向かい合ったとき、このドキュメンタリーの絶対性が立ち上がる。『ジェーンとシャルロット』(21)は、ジャーナリスティックな視線でジェーン・バーキンという伝説に迫るわけではない。シャルロットは極めてパーソナルな視線をジェーンに注ぎ続ける。シャルロットが抱えていたジェーンへの長年のわだかまり。異父姉妹のケイト・バリーやルー・ドワイヨンとは違う距離感への疑問を、シャルロットは率直に母親にぶつける。ケイトやルーと違い、私たちの間にはなぜ遠慮があるのか?
娘からの直球の質問にジェーンはどこか戸惑っているように見える。冷静を努めるジェーンの言葉の余白に感情がこぼれ落ちている。決して第三者が立ち入ることのできない領域がカメラの前に広がっている。事実、日本での撮影を終え、この作品は二年間の凍結期間に入っている。本作の撮影は、ジェーンにとってあまりにもセンシティブすぎたのだ。このときシャルロットは罪悪感すら感じていたという。しかし二年後に二人で映像を見直したところ、ジェーンは日本で撮ったシーンを「美しい」とさえ思えるようになっていた。
『ジェーンとシャルロット』© 2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms
このときジェーンは、第一に観客として、第二におそらく映画作家として映像を見直している。ジェーンには、短編を含めいくつかの映画作品を監督した経験がある。なにより盟友のアニエス・ヴァルダと自身の“自画像”映画『アニエスv.によるジェーンb.』(88)を制作した経験がある。『ジェーンとシャルロット』の原題『Jane Par Charlotte』は、『アニエスv.によるジェーンb.』の原題『Jane B. par Agnès V.』への明確なオマージュだ。
『アニエスv.によるジェーンb.』は、いわば画家(アニエス・ヴァルダ)とモデル(ジェーン・バーキン)に関する映画といえる。俳優の不安を映画作家がカメラによって解きほぐしていく映画。40歳という年齢が不安で仕方ないと語るジェーンに向け、年上のヴァルダは「バカバカしい。素晴らしい年頃じゃないか!」と返答をしている。
『ジェーンとシャルロット』には、ジェーンが年齢を重ねていくことを、率直に、しかしユーモラスに語るシーンがある。ジェーンにはシャルロットに残したい言葉や姿勢がある。シャルロットにもジェーンとの関係を知りたい強い動機がある。母と娘が並ぶことで、初めて生まれる奇跡的な相互作用がここにある。
シャルロットの言うように「カメラは、ママを知る口実」なのだろう。カメラを介することで、二人はお互いを知っていく。そしてカメラは、バーキン家、ゲンズブール家の極めてゆかりの深い“記録(記憶)装置”でもある。