ブリジット・バルドー、誤解
「ある人々にとって彼女はジャンヌ・ダルクであったが、多くの人々の眼には娼婦と映った」(ルイ・マル)*1
『私生活』はバレエのレッスンシーンから始まる。ヌーヴェルヴァーグを代表するカメラマンの一人アンリ・ドカエによる大きな鏡を利用したアクロバティックな撮影が美しい。ブルジョアの家庭に生まれ、バレエからモデルへ。メディアからの寵愛を受け、大衆から愛だけでなく憎しみの視線を浴びる映画スターへ。ジルの人生はブリジット・バルドーの実人生をダイジェストのようになぞっていく。
ジルがエレベーターで一緒になった女性に罵倒されるシーンは、ブリジット・バルドーが実際に経験したエピソードだという。密閉空間による恐ろしいシーン。ブリジット・バルドーは自伝でそのときのことを振り返っている。
「“あんたね、あばずれ、くず、淫売。あんたは、私たちみたいな哀れな女から、男という男をみんな奪うんだ。ああ、あんたの顔をめちゃくちゃにしてやる。目玉をえぐりだしてやる”彼女はフォークを握りしめ、私に突き刺そうとした」*2
『私生活』©1962 GAUMONT - STUDIO 37 – CCM
“バルドー現象”。本作にはジルに憧れ、同じ髪型で町を歩く女性たちと同時に、ゴシップに煽られた人たちからの憎しみも描かれている。実際のブリジット・バルドーは、セレブリティ的なハイブランドな衣装や装飾品にあまり興味のない女性であり、ココ・シャネルはブリジット・バルドーのファッションを「みっともない」と非難している。しかしセレブリティのアイテムとなったシャネルと違い、ブリジット・バルドーのスタイルは大衆の人気を得ていた。こういったところにブリジット・バルドーの持つ生来の反抗心、脅威のようなものを感じる。
いつの時代も脅威であることは称賛と批難、誤解を同時に受けるものなのだろう。ブリジット・バルドーが真に新しかったのは、ハリウッドのような大きなシステムに守られることなく、その自然なスタイルでオーディエンスに愛され、同時に当時の価値観を脅かしたことにある。ルイ・マルはブリジット・バルドーのことを、政治的な人物ではないが、フェミニズムの草分け的存在だったと評している。「第二の性」で知られるフェミニスト理論家のシモーヌ・ド・ボーヴォワールは「ブリジット・バルドーとロリータ・シンドローム」という文章で、これ以上ない言葉でブリジット・バルドーを称賛している(ブリジット・バルドーは「第二の性」を読んでいる)。