古代ローマ帝国を舞台にした剣闘士映画『グラディエーター』(2000)は、監督リドリー・スコットにおける集大成であり、善と悪、生と死、戦争と平和、血と残酷、名誉と恥辱など、自身が追求するテーマに忠実な作品だ。そして、それをダイレクトに語るためのスタイルが、生来の映像センスと併せて本作で確立している。そんなクリエイターが手がけた、気高き英雄の物語はいかにして生まれたのだろう。
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リドリー・スコット千載一遇の好機
奴隷解放を描いたスティーブン・スピルバーグのヒューマンドラマ『アミスタッド』(97)の脚本を手がけ、製作会社ドリームワークスと3本の契約を交わしたデヴィッド・フランゾーニは、スタジオの重役ローリー・マクドナルドとウォルター・F・パークスに次回作を持ちかけた。それは群衆に囲まれたコロッセオ(闘技場)で、死ぬまで戦いを続ける剣闘士の物語で、当時のハリウッドが可能な手段を駆使する壮大な物語に二人は支援を惜しまなかった。
フランゾーニはダニエル・P・マニックスのセンセーショナルなローマ競技史「Those About to Die(死にゆく者たち)」を柱に、ユリウス=クラウディウス朝ローマにおける初代皇帝アウグストゥスから徹底的に調べ上げ、第16代皇帝マルクス・アウレリウスの息子コモドゥスが「ヘラクレスの化身」を自称し、剣闘大会に出場した唯一の皇帝であることを突き止めた。同時にコモドゥスがナルキッソスという人物に絞殺されたというエピソードにも惹きつけられ、これらが『グラディエーター』のベースとなった。
やがてさまざまな草稿を経て、このナルキッソスはローマの将軍マキシマスへと発展し、彼はコモドゥスの裏切りによって国を追われ、妻子を殺され、失意のまま剣闘士へと身を窶していく。そして復讐心を秘めたマキシマスはコロッセオへと赴き、自身の正体を明かし、その過程で冷酷なコモドゥスに対する反乱へと自身を駆り立てていく。
いっぽう同時期、マルタのカルカラにある巨大ステージで『白い嵐』(96)を撮影していた監督リドリー・スコットは、スタジオ近くの岬に建つ廃兵舎のリカソリ砦を散策していた。この廃墟は1803年のナポレオン戦争のときにイギリス軍が駐屯していた場所で、そこでスコットを印象づけたのは、柔らかい石灰岩の壁を風が砂でこすっている幻想的な風景だった。彼の目にこの場所は、ローマの叙事詩の舞台として最上のものに映ったのである。
『グラディエーター』(c)Photofest / Getty Images
奇しくもほどなくして、スコットはパークスとマクドナルドから『グラディエーター』の企画会議に招かれた。そこでパークスはスコットに、フランスの新古典主義的画家ジャン=レオン・ジェロームによる「指し降ろされた親指」(1872年)の複製画を渡したのだ。この絵は金色の兜をかぶった剣闘士が敗れた敵の喉元を踏みつけ、ウェスタの巫女たちや観客が敗者を処刑するよう親指を下ろす様子が描かれたものだ。
「ウォルターが絵を見せてくれた瞬間、私はすっかり虜になってしまった」とスコットは言い、彼はこの想像力を掻き立てる絵を櫂に、『グラディエーター』という新たな展開へと創造の船を漕ぎ始めたのだ。
『グラディエーター』のプロジェクトは、スコットにとって千載一遇といえる好機だった。しかし『クオ・ヴァディス』(51)や『スパルタカス』(60)のような英雄史劇は既にハリウッドでは廃れたジャンルとみなされ、しかも自身のフィルモグラフィは『1492 コロンブス』(92)『白い嵐』そして『G.I.ジェーン』(97)と3本続けて興行的に結果を残せず、商業監督として後がない状況だった。だがスコットはこう述べている。
「私の人生にリスクはつきものだ。それが好きだ。そして何より、世界を創造するのが本当に好きなんだ」