アクションヒーロー前夜の“人間”ジョン・ランボーの悲哀
全米公開時、『ランボー』は好意的な評で迎えられた。それ以前の『ロッキー』シリーズ1~3作目には及ばなかったものの、重いテーマを含んだ作品としては興行的にも悪くない成功を収める。1,500万ドルでつくられた作品が4,700万ドルの全米興収を記録し、世界的には1億2千万以上の興収を上げたのだから、続編か作られるのはある意味、必然だった。
折しも、アメリカはレーガン政権下の右傾化の時代。第2作『ランボー/怒りの脱出』(85)は、前作の“国家に利用された男”の哀感を踏襲しつつも、より大きくアクション方向に舵を切り、シリーズ最高のヒットを記録。この特大ホームランによってスタローンはアクションスターの地位を確固たるものにする。ジョン・ランボー、いやシルヴェスター・スタローンは強いアメリカの象徴となった。そして3作目の『ランボー/怒りのアフガン』(88)では哀感は払しょくされ、アクションエンタテインメントにシフトチェンジする。
ジョン・ランボーというキャラクターに対して、無敵のヒーローというイメージを抱いている人は少なくない。戦場では容赦なく敵を抹殺する。しかし、少なくとも1作目はアメリカン・ニューシネマのような社会性と悲哀に満ちた作品であり、ランボーはどうしていいのかわからず泣きじゃくる。ヒーローとは言い難い存在、すなわち生身の人間だったのだ。
文: 相馬学
情報誌編集を経てフリーライターに。『SCREEN』『DVD&動画配信でーた』『シネマスクエア』等の雑誌や、劇場用パンフレット、映画サイト「シネマトゥデイ」などで記事やレビューを執筆。スターチャンネル「GO!シアター」に出演中。趣味でクラブイベントを主宰。
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