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巧妙なアイデアを映画にするために
「その映画、どんな話?」と聞かれて説明すると、相手が俄然という感じで身を乗り出してくることがある。たとえば、「日常に退屈した中学の理科教師が原発からプルトニウムを盗んで、お手製の原爆を作って日本政府を脅迫する。でも何の思想もないから、プロ野球を完全中継しろとか、ローリング・ストーンズを呼べとか要求するだけ」と『太陽を盗んだ男』(79)の話をすると、やたらに食いついてくるような人のことだ。同じように、「火星に行く宇宙飛行士が発射直前に連れ出されて、火星を再現したセットで映像を捏造して世界中を騙す話」――と、『カプリコン・1』(77)の発端を話すと、興奮したような反応が返ってくることがある。独創的なアイデアに、観る前から面白さが匂って来るのだろう。
一方で、秀逸な設定が用意されていながら、それを映画にする段階でアイデア倒れになって面白さが活かされていない作品は山のようにある。その意味で『カプリコン・1』は、核となるアイデアをいかに展開させていくかが考え抜かれた傑作である。
映画の根源的な面白さは、煎じ詰めるところ〈追っかけ〉である。サイレント映画時代から、追いつ追われつを描くために乗り物が利用されてきた。歩いていた人が走り出し、やがて馬に乗り、バイクや車に乗り換え、そして地上を走るだけでは飽き足らず、空中を舞いながら追っかけをやってのける。
だが、やがてそれも飽きられてしまう。007シリーズは、初期からあらゆる乗り物を登場させてきたが、『007ムーンレイカー』(79)では遂にジェームズ・ボンドを宇宙にまで進出させてしまった。もっとも、流石に宇宙で銃撃戦までやられると、いくらスペース・オペラの時代に製作されたとは言え、荒唐無稽の誹りは免れない。宇宙へも視野を向けつつ、現実的でサスペンスとアクションに満ちた映画があってもいいはずだ。それが『カプリコン・1』である。