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『カプリコン・1』あの大物監督もNASAに加担した!?陰謀の宇宙映画史

(C)Capricorn One Associates 1978

『カプリコン・1』あの大物監督もNASAに加担した!?陰謀の宇宙映画史

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伝説のドキュメンタリー・ドラマ『第3の選択』との関係



 1977年12月10日は『カプリコン・1』の日本公開日だが、これは世界初上映された日でもある。アメリカでの公開は、それから半年後の1978年6月2日。当時としても珍しい事態だが、当初、アメリカでの公開は78年2月を予定していたが、『スーパーマン』の公開が遅れたことも影響して、6月の公開となった。


 もし、1977年に世界各国で公開されていれば、いっそう宇宙開発に疑惑の目が強まったかも知れない。というのも、1977年6月20日にイギリスのアングリアTVが製作した『第3の選択』が放送されたからだ。


 この番組は、イギリスで相次ぐ科学者の失踪や関係者の謎の死を追ったドキュメンタリーで、そこに宇宙開発が関与していることに突き当たり、アポロ計画関係者へ取材を行う。そして、アポロ11号が人類初の月面着陸ではなかったという事実が明らかになり、そればかりかアポロ計画自体が国民の目を欺くために遂行されたものであり、密かに米ソが共同で進めてきた火星への移住計画が存在するということが明らかになるという衝撃的な内容で、日本でも1982年1月21日に日本テレビの『木曜スペシャル/UFOと米ソ宇宙開発の陰謀 人類火星移送計画が極秘裏にすすめられている!?』の題で放送されて話題を呼んだ。


 実際には、1978年と1991年にフジテレビの深夜のドラマ枠でも別題で放送されていたが、ゴールデンタイムに放送された『木曜スペシャル』での印象が日本では最も強いようだ。というのも、この番組――というか作品は、最後に「アングリアTV 1977年4月1日」というクレジットが出るエイプリルフール番組、即ちフェイク・ドキュメンタリーであることが種明かしされるようになっている。フジテレビ版を観ていた視聴者によると、フィクションであることが分かるようにクレジットが入っていたと言うが、日本テレビ版では入っておらず、本物のドキュメンタリーのように放送していたという。



『カプリコン・1』(C)Capricorn One Associates 1978


 それを現代のメディア・リテラシーに照らし合わせて批判するのは簡単だが、この日本テレビ版を制作したのが、当時同局のディレクターだった矢追純一であることを知れば、まあまあという気分になるのではないか。ユリ・ゲラー、オリバー君(チンパンジーと人間の間の子)、そしてUFOと、日本テレビが高視聴率を誇ったキワモノ的な番組を次々仕立て上げた矢追さんの番組ならば、『第3の選択』が編集と吹替えによって、胡散臭さと共に真実として放送されるのは当然だろう。


 矢追の上司で、日本テレビ局次長だった井原高忠は矢追の特性をこう語っている。「この男はとにかく、フラフラ外国へ行ってくると、必ずなんか拾ってくるわけよ。UFOとかなんとか妙なものを。だから、僕のほうもある程度好き勝手にやらしてた、外国でもどこでも勝手に行ってこいと。で、そのかわりなんか当たる番組作ればいいじゃないか」(『元祖テレビ屋大奮戦!』井原高忠 著/文藝春秋)。こうした恵まれた環境が、日本では深夜に放送されたに過ぎなかった『第3の選択』を装飾し直して、ゴールデンタイムでセンセーショナルを巻き起こさせたのだろう。


 世界的にアポロ計画陰謀論を広める遠因になったとも言われる『カプリコン・1』と『第3の選択』だが、前者がNASAの協力を得て宇宙船を始めとしてリアルな再現を心がけたように、『第3の選択』もリアルな嘘を積み重ねていくのが上手い。宇宙ステーションの建設、アメリカとロシアの共同宇宙開発、地球温暖化、オゾン層破壊などを当時としてはいち早く取り入れており、現在から観ると、その指摘が当たったように見えてしまうところも含めて、この2作に奇妙な信憑性を持たせているのかも知れない。



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