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『あの歌を憶えている』記憶という鎖から解き放たれてゆく、痛みと再生の物語

© DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023

『あの歌を憶えている』記憶という鎖から解き放たれてゆく、痛みと再生の物語

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説明的なセリフを削ぎ落として描かれるもの



 フランコ監督の視座や語り口は独特だ。物語然とした構造をわかりやすく突き付けるような真似はしない。むしろ、説明的な状況やセリフは極力削ぎ落とした上で、キャラクターが何かしらの仕事や作業に打ち込んだり、はたまたどこかへ向かって黙々と歩き続ける姿を、長回し撮影によってじっと捉える。そうして、ある種の観察にも似た距離感を持ったまま、日常の営みを何度も丹念に塗り重ねていく。


 その波間でふと気がつくと、私たちはすっかり物語の中に入り込んでいる。作品ならではの息遣いや関係性の内部にすっかり身を浸していると言ったほうが正しいだろうか。


 また、こういったナチュラルな語り口が際立つフランコ作品において、いつも決まって登場するのは、無防備かつ無抵抗な「剥き出しの身体」だ。



『あの歌を憶えている』© DONDE QUEMA EL SOL S.A.P.I. DE C.V. 2023


 例えば『或る終焉』(15)では、介助を必要とする患者の体を介護人(ティム・ロス)が丁寧に洗ったり拭いたりする場面が印象的に描かれる。また、クーデター下の緊迫状況を描いた近未来SF『ニューオーダー』(20)では、武装兵士に拘束された富裕層の人々が辱めを受ける場面が登場する。


 なんら自らを覆い隠すことのできない、まさに”ひとつの人間”へと還元された状態の身体を作品に刻むこともまた、フランコ作品の真髄であるような気がする。


 そしてもう一点、必ずと言っていいほど浮かび上がってくるのが、”家族”という要素である。それもどちらかというと機能不全に陥った家族。何が正しいとか正しくないという道徳的なメッセージはない。そこにあるのはただ問いかけだけ。それを受け止めて思考するのは私たち自身の役目なのである。




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