2025.02.03
※本記事は物語の結末に触れているため、映画未見の方はご注意ください。
『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』あらすじ
1979年、ワシントン州の田舎町でレコーディングされた1枚のアルバム「Dreamin’ Wild」。10代だったドニーは兄とデュオを結成し、父が息子たちのために自作したスタジオで数々の楽曲を生み出した。家族に支えられ情熱を注ぎ込んで作ったアルバムだったが、世間からは見向きもされず、夢に手が届くことはなかった。それから約30年後――。思い描いていた夢とは程遠い人生を送っていたドニーは、コレクターにより発見されたアルバムが再評価され、“埋もれた傑作”として人気を博していることを知る。思いもよらない成功に家族は喜ぶが、ドニーは目を背けてきた過去や感情と向き合うことになり…。
Index
伝説の音楽デュオ、ドニー&ジョー・エマーソン
夢はいつの日か実現する
時に4/4拍子のリズムで
(名もなき者)
音楽デュオのドニー&ジョー・エマーソンを描いた映画『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』(22)は、こんな一節で幕を開ける。実際に彼らが世間から注目を浴びるようになったのは、初めてアルバムをリリースしてから33年経った2012年のことだった。
ワシントン州の田舎町フルーツランドで育った二人。父親ドンが運転するトラクターから聴こえてくるラジオの音楽に熱中し、やがて楽器の練習や作曲に取り組むようになる。特に弟ドニーの音楽的才能は、父親を驚かせるものだった。ドンは彼らのために10万ドルを注ぎ込んで自家製のスタジオを作り、息子たちはレコーディングに没頭。1979年にアルバム「Dreamin’ Wild」を完成させる。
ひょっとしたらこのレコードをきっかけに、スターへの道が切り拓かれるかもしれない。ティーンエイジャーのエマーソン兄弟は期待に胸を膨らませたが、現実はひとっとびのサクセス・ストーリーとはいかなかった。プレスされた2,000枚のレコードは、母親が手売りで捌くのがやっと。息子たちの夢に投資した父の借金は破産寸前まで膨らみ、1,600エーカーあった土地は瞬く間に減っていく。思い描いていた夢は呪いへと転化して、少年たちの心に深い傷を残す。やがて大人になったドニーは、妻と共にプライベート・スタジオを経営。ジョーは農場に残った。
『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』© 2022 Fruitland, LLC. All rights reserved.
時は過ぎ、2008年。ある音楽コレクターが彼らのレコードを発見し、ブログで絶賛。音楽マニアの間で“忘れ去られた名盤”と話題になり、2012年にインディーズ・レコードレーベルのLight in the Attic Recordsが「Dreamin’ Wild」をリイシュー。著名な音楽メディアのピッチフォークは、「彼(ドニー)の才能は天才的だ。『Dream Full of Dreams』のような赤裸々なピアノ・バラードに挑戦し、温かみのあるシンセ・ラインを巧みに包み込むことができるのは、ソングライターやプロデューサーとしての彼の将来を暗示している」(*1)と高い評価を与えた。3周遅れくらいのスピードで、世界はようやくドニー&ジョー・エマーソンの才能に気づいたのである。
彼らがもう少し遅く生まれていたら、YouTubeでその天才ぶりを世界に発信することができただろう。若くして、スターダムの座につくこともできたかもしれない。だが全てはWhat ifだ。夢が現実のものになるまでにかかった33年間は、ドニーたちが成功を受け止めるまでに必要な時間だったのだろう。コモンタイムとも呼ばれる4/4拍子の一般的なリズムで、映画『ドリーミン・ワイルド 名もなき家族のうた』は紡がれていく。