レイラという主人公を形作った数々の要素
ここで描かれる主題は、母国への従属か、それとも個人の自由と尊厳か、それをめぐる極めて複雑かつ重大なものだ。同時に、本作の製作過程からは、このレイラという主人公が様々な要素を加味しながら「思いの集合体」のごとく周到に築かれていった背景が見えてくる。
例えば、本作を手掛けたガイ・ナッティヴは、イスラエル出身の映画監督。過去には『SKIN/スキン」(18)というアメリカ映画で、恋人やその子供たちとの普通の暮らしを夢見て組織からの離脱を望む元ネオナチの若者を描いて脚光を浴びた。そんなナッティヴが、本作でもなお「束縛や圧力からの解放」「境界線を越える」というテーマに取り組んだのは必然だろう。
そして、歴史的な事実の面でも例を挙げておこう。2019年8月31日の朝日新聞朝刊のスポーツ面を紐解くと、そこには日本武道館で開催された世界選手権にて、イランの男子柔道選手サイード・モラエイ(男子81キロ級の2018年世界王者)がイスラエル選手との対戦をめぐって出場を辞退するよう自国から圧力をかけられた旨が記されている。このモラエイこそが本作のモデルと言われる人物である。
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ただし、インスピレーションを与えたのはこの男子選手だけではない。イラン初の女子ボクシング選手サダフ・ハデムであったり、政府からの圧力を理由に夫と共に亡命したフェンシング選手のキミア・アリザデ、そして命の危険を顧みずヒジャブをつけずに競技出場したクライミング選手エルナズ・レカビといった、いずれも逆境に耐えながら戦った女子選手たちの生き様が参考にされているという。
また、脚本執筆後ではあるものの、映画製作を進める2022年、イランで大事件が起こった。ヒジャブの着用が不適切として警察に連行された女性が拘束中に急死したことを受け、各地で大規模なデモが勃発したのだ。こうした女性に対する理不尽な仕打ちへの怒りが爆発した状況も、『TATAMI』に込められた重要なエネルギーと言えるだろう。