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『ケナは韓国が嫌いで』が描くリアリスティックな人生の手触り

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『ケナは韓国が嫌いで』が描くリアリスティックな人生の手触り

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ファンタスティック/リアリスティック



 チャン・ゴンジェ監督が2014年に手がけた『ひと夏のファンタジア』は、日本の奈良県五條市を舞台に、“ふたつの異なる物語”が展開する作品だった。


 第1章では、韓国からシナリオ・ハンティングにやってきた映画監督のテフン(イム・ヒョングク)とその助手である女性が、観光課のタケダという男性職員とともに五條の町を練り歩く。その様子がモノクロームで描かれている。そして続く第2章では、韓国から五條にやってきた若い女性のヘジョン(キム・セビョク)が柿農家の青年・ユウスケ(岩瀬亮)と観光案内所で出会い、ふたりが過ごす特別な時間をカラフルに紡ぎ出している。


 このふたつのストーリーに共通するのは、五條の町を舞台としていることと、どちらにも同じ俳優が登場すること。第1章で監督の助手を演じているのはキム・セビョクであり、観光課のタケダを演じているのは岩瀬亮である。つまり、同じ舞台に同じ人間が立っていながら、その関係性はまったく異なるものなわけだ。果たしてここに何が生まれるのか。


 インディペンデント映画らしい実験的な作品だともいえるし、アートフィルムの要素を多分に含んだ作品だともいえるだろう。モノクロからカラーへ、仕事で行動をともにする間柄から特別な男女の関係へ──90分ほどの映画の旅路の中で、観客の瞳に映る五條の町並みはガラリと表情を変える。まったく別の世界線にある“ふたつの異なる物語”がクロスオーバーしていくさまは、まさにファンタスティックなものだった。



『ケナは韓国が嫌いで』© 2024 NK CONTENTS AND MOCUSHURA INC. ALL RIGHTS RESERVED.


 同じロケーションで、同じ俳優で、実質二本の映画を撮る。制作スタイルとしてはかなりミニマルなものだったことが容易に想像できるだろう。しかしそれでいて、映画というものは限られた条件下であっても、まるで魔法がかかったような瞬間を生み出すことができる。チャン・ゴンジェ監督はそう証明してみせた。


 このことを考えると、『ケナは韓国が嫌いで』は『ひと夏のファンタジア』とは対照的な作品だといえる。主人公はひとつの町にとどまるどころか国境さえも超えてしまうし、交差する物語はケナの“現在”と“過去”である。そしてこの作品において映画はファンタスティックな瞬間を生み出すものではなく、現実を切り取り、照射するものだ。そこで重要とされるのは、やはりリアリスティックな手触りだろう。





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