法の外へ、文明の外へ
テレンス・マリックは『バッドランズ』に影響を与えた作品としてマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリーフィンの冒険」を挙げている。大人の世界の束縛から離れるような冒険小説。『バッドランズ』のホリーは、ビルボード看板業を営む厳格な父親(ウォーレン・オーツ)に育てられている。無邪気なホリーはキットと出会うことによって、当たり前だと思っていた世界が当たり前ではなかったことを初めて知っていく。ビクトリア朝のベッドルームはホリーの“宮殿”だ。キットの誘いに乗ったとき、ホリーは初めて自分が囚われの“お姫さま”だったことに気づく。2人の交際を認めない父親をキットは殺害する。そのときホリーが泣いたのかどうかは分からない。本当は泣いたのかもしれないが、ホリーのナレーション=物語には描写されていない。“宮殿”を失ったホリーは、キットと共に新たな“宮殿”=ツリーハウスをつくることを決意する。自給自足の生活。文明の外へ。すべての法の外へ。未熟な子供のような恋人たちは、自分たちの“王国”をつくり始める。このテーマが幾多の映画作家に与えている影響は深い。“宮殿”はソフィア・コッポラの、“王国”はウェス・アンダーソンの主要テーマであり続けている。
『バッドランズ』はロードムービーや西部劇、犯罪ノワールといった複数のジャンルが交わるハイブリッドのような作品だが、その中にはドキュメンタリーの質感も交わっている。ゴミ収集業をクビになったキットが職業相談所に行ったときに、隣に座っているピクリとも動かない老人のアップや、牛舎の牛たち、この映画に出てくるすべての動物たちの映像には奇妙に思えるほどのドキュメンタリーの粗い質感がある。美しい映像が続く本作の中で、これらの映像は“アクセント”であり、フィルムの“傷”になっている。またドキュメンタリー性という点で、労働者階級出身のマーティン・シーンにはキット役を演じるだけの信頼性があったと、テレンス・マリックは語っている。マーティン・シーンとシシー・スペイセクは共に『バッドランズ』がキャリアを左右する重要な作品になることを予感していたという。この映画にはマーティン・シーンの子供たちであるエミリオ・エステベスとチャーリー・シーンがノンクレジットで出演している。またテレンス・マリック自身が、キットたちの立てこもる富豪の家への訪問者としてカメオ出演している。その後公の場に姿を見せなくなるテレンス・マリックの貴重な映像である。
『バッドランズ』©2025 WBEI.
「思春期には心を開いていても、その後ずっと心を閉ざしてしまうようなことはあると思う。もう少し分別がつくようになると消えてしまうような、ある種の開放性、脆弱性を私は見せたかったのです。」(テレンス・マリック)*
子供の頃のテレンス・マリックはチャールズ・スタークウェザーの事件に魅了されていたという。映画の撮影前には、スタークウェザーと行動を共にしたキャリル・アン・フューゲートに刑務所で面会している。『バッドランズ』はキットの行動を美化せず、動機付けせず、批難もしていない。しかしそれでも事件当時14歳の少女だったフューゲートに関してテレンス・マリックは同情的に思える。それは思春期のホリーが夢見る楽園への共感として昇華されている。しかしホリーの楽園は失望へ向かっていく。楽園の喪失。何もないバッドランズの美しい風景は、どこにもつながっていない。