“ジェームズ”と“プリシラ”、交錯する憧れ
ジェームズ・ディーンに憧れ、似ていると言われれば思わず笑顔になるキット。キットは“ジェームズ”、ホリーはエルヴィス・プレスリーの妻プリシラ・プレスリーの“プリシラ”のファーストネームを名乗る。人を憎んでいるわけではないキットの行動は“パフォーマンス”といえる。死んだら新聞に載るような有名人になりたい。逃亡生活を送る2人の分かれ道は突然やってくる。上空からヘリが向かってくるシーンで2人は対照的な表情を見せる。楽園への憧れが消え、疲れ果てた様子のホリーに対して、キットは笑みをうかべて完全なトランス状態にある。キットの興奮した笑い顔のアップが、この人物の生き方、パフォーマンスとしての人生をよく表わしている。キットにとって警察に捕まるかもしれないという人生最大の危機は、千載一遇のチャンスなのだ。なぜなら憧れの映画スターのように輝ける瞬間だからだ。このシーンはキットとホリーがまったく別の憧れの世界を生きていたことが分かる、悲しい別れのシーンでもある。
ホリーの憧れは、ありえたかもしれない世界に生きることだ。それはツリーハウスにおける自給自足の生活で最初の第一歩を踏んでいる。ホリーは子供の頃に亡くなった母親の人生を肌感覚で確かめようとしている。キットというパートナーを通して、母親が父親と恋に落ちた生活を生き直そうとしている。物語を書き直す。ホリーはやはり作家なのである。
『バッドランズ』©2025 WBEI.
キットが富豪の家から盗んだ帽子は、ホリーの父親の被っていたパナマ帽とよく似ている。富豪の家を出てキットがパナマ帽を被るとき、ホリーとのパートナー関係は強固なものとなる。しかし恋人たちの関係が完全体となった瞬間から、ホリーの憧れは徐々に消え失せていく。キットの運転中にフランク・シナトラとリタ・ヘイワースが別々の相手と交際が発覚したというゴシップ記事を読み上げるホリー。それはジェームズ・ディーン=キットとプリシラ・プレスリー=ホリーが結ばれるはずがないことを示している。キットのパナマ帽は警官によって路上に捨てられてしまう。この瞬間キットはパートナー失格の烙印、ホリーの父親にはなれないという烙印を押されるのだ。
『バッドランズ』の危険なまでの純粋さは、恋人たちが自分たちの行為の怪物性に気づいていないところにある。歌が歌えないキットがホリーへの気持ちを歌にしたいとき。映画スターになれないキットがマスコミの“スター”となり、ようやく心の平穏が訪れたとき。キットがホリーの日記だけを持ち帰ろうとするとき。石ころやガラクタを集め、記念碑にしようとするキットの無邪気さにホリーが笑うとき。この奇跡的な映画は、恋人たちの無自覚な大胆さや脆さを何も裁かずに、それぞれの“憧れの時代”が過ぎ去り消滅していくのを、ただただ見つめ続けている。
*Paul Maher Jr.「One Big Soul: An Oral History of Terrence Malick」
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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提供:キングレコード提供 配給:コピアポア・フィルム
©2025 WBEI.