※本記事は物語の核心に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。
『新幹線大爆破』あらすじ
新幹線ひかり109号が爆弾を仕掛けられたまま発車した!爆破グループの完璧緻密な犯行と大捜査陣の執念の追跡。
Index
強引に観客を物語に引き摺り込む腕力
「青木くーん!新幹線を停めるんだー!青木くん!」という関根勤のモノマネでお馴染み、『新幹線大爆破』(75)。工場の元経営者・沖田哲男(高倉健)をリーダーとする犯人グループと、運転指令長・倉持(宇津井健)と運転士の青木(千葉真一)ら国鉄サイド、そして警察との手に汗握る駆け引きをスリリングに描く、国産パニック映画の金字塔である。
有名な話だが、関根勤のセリフは完全に間違い。ひかり109号の速度が80km以下になると、仕掛けられた爆弾が自動的に爆発するという設定なのだから(この秀逸なアイデアは、キアヌ・リーブス主演の『スピード』(94)にも影響を与えた)、新幹線を停めるとむしろ大惨事に繋がってしまう。映画を実際に観て、びっくりされた方も多いのではないだろうか。
筆者は『新幹線大爆破』の大ファンである。事あるごとに何度も見直してしまう。そして、いつもこんな想いに辿り着く…「ご都合主義、万歳!ご都合主義、上等!」と。どれだけ現実味が薄かろうが、どれだけ無理ゲーな展開だろうが、ありえないトラブルにどれほど見舞われようが、強引なまでに観客を物語の世界に引き摺り込む腕力こそが、真のエンターテインメント。フィクションなんてものは、作り手の都合によって作られた虚構の世界なのだから、それでいいのだ。
『新幹線大爆破』©東映
『新幹線大爆破』は、おそらくその極北に位置する作品である。頭のてっぺんから足の爪先まで、徹頭徹尾“ご都合主義”のオンパレード。余計な説明はいっさい削ぎ落とし、ストーリーをダイナミックに転がすためのトンデモ設定を次々に繰り出す。監督の佐藤純弥自身も、「まあ、ご都合主義を言われてしまうと、反論できないところはいっぱいある」と語っているくらいだ。だがその潔さに、むしろ筆者は心を奪われてしまうのである。
例えば、トランクに詰めた身代金の500万ドルを、犯人グループのひとりが荒川上流の渡し船からロープで持ち上げようとする場面。そこに大学柔道部の集団が「えっほ、えっほ」と通りかかり、見張っていた刑事が「新幹線に爆弾をしかけた犯人がいる!捕まえてくれー!」と絶叫。進退極まった犯人はバイクで逃げ出し、パトカーと接触して死亡してしまう。柔道部員たちが絶壁の近くでランニングしていたことに、特に理由はない。たまたま、そこに居合わせただけなのである。
もしくは、なんだかんだで身代金をゲットした沖田が、爆弾解除の方法を記した設計図を喫茶店に預けたと連絡し、警察が急行する場面。ところが、不慮の火災によって設計図は喫茶店ごと焼失してしまう。凡百の映画ならば、タバコの残火が何かに引火するとか、コンロの火を消し忘れていたとか、その布石となる場面をインサートすることだろう。だがこの映画は、辻褄を合わせるだけのシーンを頑なに拒否する。いきなりのサプライズ火災、ただそれだけ。潔し!
先に出発したひかり157号が故障で立ち往生してしまい、このままでは109号と激突してしまうとか、爆弾のコードを切断しようとしたら砂利が手に当たって失敗してしまうとか、国鉄サイドからすると信じられないくらいに不運が積み重なる。確かに、ご都合主義にも程があるかもしれない。でも全てがオモシロに直結。合理性なんてものはガン無視して、観客にサスペンスを与えることに一点集中。この問答無用な感じがたまらない。