2025.05.23
旅芸人の記録、ポップミュージックと共に
田舎で育った子供時代のジャ・ジャンクーは、都会からやってくる物質文化の急速な変化に戸惑っていたという。「Jia Zhangke on Jia Zhangke」というインタビュー本の中で、洗濯機があるということがどれだけエキサイティングなことだったかを語っている。“バイクが買えれば世界一の幸せ者になれる”と語っていた兄の話。兄の言葉の3~4年後には、町中にバイクが溢れていた。当時テレビは公共施設のような場所で町のみんなと一緒に見るものだったが、その1~2年後には各家庭に普及していたという。想像を絶するような変化のダイナミズム。そしてジャ・ジャンクーが経験した物質文化の急速な変化の中で、ポップミュージックの果たした役割は、この映画作家のコアを形成することになる。
子供時代のジャ・ジャンクーは、台湾からの違法ラジオで聴いたテレサ・テンの歌に多大な感銘を受けている。国家の集団的な主語である”We”を高らかに歌っていた中国の音楽と違い、テレサ・テンの曲は個人の主語である“I”を歌っていた。また、拡声器で町中に流されていた音楽ではなく、ウォークマン等の普及は、個人の音楽体験を目覚めさせたという。そしてクラブミュージックの台頭の時代がやってくる。ポップミュージックやダンスが、個人のものとして解き放たれていく瞬間のダイナミズム。ジャ・ジャンクーはブレイクダンスに夢中になる。ブレイクダンスで旅芸人のように中国各地を回っていたこともあったという。爆音の割れた音さえ構うことなく、ポップミュージックを響かせる『新世紀ロマンティクス』には、ジャ・ジャンクーのポップミュージックとの、旅芸人のような付き合い方が作品に刻まれているといえる。
そして時代の変化に取り残された男=ビンがいる。『プラットホーム』で若者たちが踊ったディスコミュージック「ジンギスカン」は、この曲を使ってTikTokで踊り大人気となった初老の男性のイメージとして“韻”を踏んでいる。成功をつかむために中国各地を漂っていたビンは、時代の変化にまったくついていけなくなっている。自分たちの時代が終わったこと、若さが失われたことを自覚せざるを得なくなっている。
『新世紀ロマンティクス』© 2024 X stream Pictures All rights reserved
この映画のために新たに撮られた第3部は、コロナ禍の世界から始まっている。公共の場における無駄話を禁じられた世界は、そのまま言葉を話さないチャオのイメージと重なっている。『新世紀ロマンティクス』は、新しい時代に起こる出来事と過去の出来事のイメージを重ね合わせることで、“韻”を踏んでいく。かつて偶然出会った青年に顔相を読まれたチャオは、2022年の世界においてAIロボットに表情を読みこまれている。ロボットの言葉にほほ笑みかけるチャオは、ビンよりも時代の変化を受け入れているように見える。かつてペドロ・アルモドバル監督は、スペインが戦争の時代を生き延びることができたのは女性たちのおかげだと語っていたが、同じようなメンタル、何より生命力を、『新世紀ロマンティクス』のチャオに感じることができる。
変化していく時代と私たちの回復力。『山河ノスタルジア』(15)が上映された2015年の東京フィルメックスで、中国人の観客が「私たちの知っている中国を描いてくれてありがとう」と、涙を流しながらジャ・ジャンクーに感謝の言葉を述べていたことを筆者は忘れられずにいる。いつだってジャ・ジャンクーは、チャオ・タオのパフォーマンスに未来を託し続けている。“新世紀のロマンティクス”は、どこまでもロマンチックで、どこまでもアンチ・ロマンチックな映画だ。そこには脆く反転しかねないような両義性がある。だからこそ私たちは、『新世紀ロマンティクス』というタイトルの美しさを噛みしめることができる。チャオ・タオの“新しい女のイメージ”と共に、叫びをあげて歩んでいくことを決意することができる。ジャ・ジャンクーは、どこまでも人々の回復力を信じている映画作家だ。この傑作は、私たちに向けて同じ時代を共に生きようと呼びかけている。
*[Jia Zhangke on Jia Zhangke] by Michel Berry
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『新世紀ロマンティクス』
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次公開中
配給:ビターズ・エンド
© 2024 X stream Pictures All rights reserved