※2019年9月記事掲載時の情報です。
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ジャ・ジャンクーが見つめる現代中国のストリートの裏側
ジャ・ジャンクー監督は現代中国の影の部分を見つめる。代表作の1本、『罪の手ざわり』(13:カンヌ映画祭脚本賞受賞)では実際に起きたいくつかの事件がモチーフになっていて、それが4つのオムニバス形式で描かれていた。
自身の炭鉱を売られたことが納得できず、最後は資本家に銃を向ける炭鉱作業員。強盗を繰り返しながら、生計を立てている男。不倫を清算した後、風俗店で性的な行為を強要されて、相手を殺す女。工場で事故が起きた後、ナイトクラブで働き始める青年。主人公たちは、一見、どこにでもいそうな人物に思える。しかし、いつの間にか、思わぬ穴に落ちている。彼らがダークな世界に足を踏み入れる瞬間をシャープな映像で切り取ったのがこの作品で、想定外の罪に手を染める時の不穏な感覚がリアルに伝わってきた(こうした内容ゆえ、本国では上映中止となっている)。
犯罪世界スレスレの世界で生きる人物たちは、監督の初期作品にも登場している。97年のデビュー作『一瞬の夢』ではスリを生業とする青年、02年の『青の稲妻』では銀行強盗に走るチンピラたちが主人公。不安定なストリートで生きながら、自分の居場所を探そうとする彼らの描写が、後の作品へとつながっていった。
新作『帰れない二人』には、裏社会で生きる男女が登場し、彼らの渡世人としての生きざまが描写されていく。車、バイク、汽車、など、彼らは乗り物を使って移動。定住することができず、やはり、居場所を探し続ける。
ストリートで生きる人々を描くのがうまいマーティン・スコセッシは、ジャ・ジャンクー作品のファンのひとりであるが、ジャ・ジャンクーのいくつかの映画も、どこかスコセッシの裏社会を描いた作品に通じる感覚があるのかもしれない。
スコセッシの初期の傑作、『ミーン・ストリート』(73)には、「人間の罪を償うのはストリートである」という名セリフが登場する。不満や惑い、あるいは罪の意識をかかえながら移動するジャ・ジャンクー映画の主人公たちも、このセリフに賛同するのではないだろうか。