『けものがいる』あらすじ
AIが国家の社会システム全般を管理し、人間の感情が不要と見なされている2044年のパリ。孤独な女性ガブリエルは有意義な職に就きたいと望んでいるが、それを叶えるにはDNAの浄化によって〈感情の消去〉をするセッションを受けなくてはならない。人間らしい感情を失うことに恐れを感じながらも、AIの指導に従って1910年と2014年の前世へとさかのぼったガブリエルは、それぞれの時代でルイという青年と出会い、激しく惹かれ合っていく。しかしこの時空を超越したセッションは、ガブリエルの潜在意識に植えつけられたトラウマの恐怖と向き合う旅でもあった。はたして、3つの時代で転生を繰り返すガブリエルとルイの愛は成就するのか。そして過酷な宿命を背負ったガブリエルが、最後に突きあたる衝撃的な真実とは……。
Index
ジュ・テーム、ジュ・テーム、遅延された死
『けものがいる』(23)は、“恐怖を消し去ってはならない”と主張する。ベル・エポックの1910年のパリ、華やかだが殺伐とした2014年のロサンゼルス、人工知能が人間を支配する2044年のパリ。3つの時代を生きる3人のガブリエル(レア・セドゥ)。2044年に生きるガブリエルは、DNAを浄化することをAIに勧められる。ガブリエルは前世の記憶に向けてタイムトラベルをするセッションに参加する。ベルトラン・ボネロ監督のフェイバリット映画であるアラン・レネ監督の『ジュ・テーム、ジュ・テーム』(68)の主人公のように、ガブリエルは奇妙なタイムトラベル装置に身を投じる。無機質な漆黒の部屋。耳の穴に向けられた針がDNAに埋め込まれた記憶を消去する。ガブリエルが体験するタイムトラベル装置は、現像液で満たされた浴槽のように見える。いわばここは“暗室”だ。ガブリエルは浴槽に身を沈める。目を閉じる。ガブリエルの前世の記憶が『けものがいる』という映画に“現像”されていく。
ガブリエルはいつも怯えている。同時に浄化されることに抗っている。3つの時代で遭遇するルイ(ジョージ・マッケイ)とは、成就することのない“パートナー関係”にある。2人はメロドラマのようにすれ違い続ける。恋愛関係には踏み切れずにいる。ガブリエルのDNAには前世の感情の歴史が刻まれている。いつの時代も、ほとんど変わらない不安を抱えているように見えるガブリエルとは対照的に、ルイは生まれかわる度に精神性を変化させている。恐怖に抗うガブリエルと、恐怖により変化してしまったルイ。言い換えればガブリエルの変わらなさが恐怖との距離を生み出している。本作の原作ヘンリー・ジェイムズ「密林の獣」ではジョン・マーチャーという男性が主人公だが、ベルトラン・ボネロは主人公の性別を逆転させている。しかし“けもの”という見えない恐怖、影は、2人に同時に襲いかかってくる。愛することに恐怖を覚える2人。すべては手遅れになっていく。手遅れのメロドラマ。
『けものがいる』©Carole Bethuel
本作に描かれた感情=恐怖の歴史は、ベルトラン・ボネロのフィルモグラフィーを貫く、“遅延された死”というテーマの持つ恐怖と符合している。ホラー映画の名作に限らず、優れた映画作家は世界への自身の恐怖や疑問を作品に投げかける。“遅延された死”を描くメロドラマ。ベルトラン・ボネロはメロドラマを次のように定義している。
「メロドラマとは、誰もが二人が一緒にいるべきだと知っているのに、彼らだけはそのことに気づけず、気づいた時には既に手遅れになっているものです。」*1
そして本作はベルトラン・ボネロによる最高の”レア・セドゥ論“である。現代フランス映画を代表するレア・セドゥという俳優を、この映画はどこまでも研究していく。