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『MaXXXine マキシーン』ビバ、マキシーン! “悲劇のポルノ化”に中指を立てる無二のファイナルガール
2025.06.10
ビバ、マキシーン!
『サイコ』と同じ年に公開されたマイケル・パウエル監督の『血を吸うカメラ』(60)は、イタリアのジャッロやスラッシャー・ムービーの先駆的な映画と言われている。殺される直前の人間の表情をカメラに記録していく青年を描いたこの作品は、『赤い靴』(48)等で知られる名監督マイケル・パウエルのキャリアに致命傷を負わせた。後に多くのスラッシャー・ムービーで頻繁に用いられることになる“殺人者の主観ショット”が、この映画では最初のシーンから大々的に用いられている。カメラは殺人者の視点となり、劇場の観客は殺人者の視点に“参加”する。この映画にはカメラという存在そのものが持つ危険性が描かれていたといえる。同じように『MaXXXine マキシーン』には、スラッシャー・ムービーとカメラ技術の関係が描かれている。幼い頃のマキシーンは父親にカメラを向けられている。「私らしくない人生は受け入れない」という父親から教わった言葉は、マキシーンの胸の奥でマントラのように響き続けている。マキシーンは幼い頃からステージ=カメラの前に立ち、記録される対象だった。
『MaXXXine マキシーン』©2024 Starmaker Rights LLC. All Rights Reserved.
カメラとの関係においてもっとも興味深いのは、リリー・コリンズが演じる『ピューリタン』の“スクリーム・クイーン”、モリー・ベネットの存在だろう。モリーはマキシーンの前で、人間が殺される前に見せるような叫びの表情を見せる。一時停止したかのような叫びの顔。死体の叫び。コミカルなシーンだが、モリーの引きつった恐怖の表情は、私たちの瞳に焼き付いて離れない。固められた表情。一時停止された生。同じようにソフィー・サッチャーが演じる特殊造形アーティストが、マキシーンの顔を石膏で固めていくシーンも、映画やカメラが持つ“時間を止める”という機能と不穏な韻を踏んでいる。そして、“スクリーム・クイーン”の表情を受け入れているモリーと、常にポーカーフェイスのマキシーンの間にある決定的な違いが、新しい“ファイナルガール”の誕生を導いている。
『MaXXXine マキシーン』は、スラッシャー・ムービーにおける生存者=ファイナルガールの、その後の呪われた人生を描いた画期的な映画である。マキシーン=無二のミア・ゴスはファイナルガールの呪縛を引き受け、新たな次元へと解放されていく。呪縛と解放が同時にある。ポーカーフェイスのマキシーン。アンチ・スクリーム・クイーンとしてのマキシーン。この映画のラストショットは、『Pearl パール』と同じくらいに見る者を戦慄させるが、それは自分を励まし続けたマキシーンへの最高のプレゼントでもあるのだ。ビバ、マキシーン!“悲劇のポルノ化”に中指を立てたマキシーンにありったけの拍手を送りたい。
*[Going to Pieces: The Rise and Fall of the Slasher Film] by Adam Rockoff
映画批評。「レオス・カラックス 映画を彷徨うひと」、ユリイカ「ウェス・アンダーソン特集」、リアルサウンド、装苑、otocoto、松本俊夫特集パンフレット等に論評を寄稿。
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『MaXXXine マキシーン』
TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー中
配給:ハピネットファントム・スタジオ
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