
© 1971 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
『10番街の殺人』国家が奪った命の重みを問う、実録犯罪映画
『10番街の殺人』
ロンドンの古いアパートに住むクリスティは温厚な元警察官だが、その正体は女性を殺害して凌辱する殺人鬼だった。新しく越してきた若い夫婦も彼の毒牙にかかり・・・。
Index
イギリス史上最も悪名高い冤罪事件「エヴァンス事件」
ジョン・レジナルド・ハリディ・クリスティ(以下、ジョン・クリスティ)。この名前は、1940年代後半から1950年代初頭にかけてイギリスを震え上がらせた。彼はロンドンのノッティング・ヒルにあるリリントン・プレイス10番地のアパートを拠点とし、妻のエセルを含む少なくとも8人の女性を絞殺。その手口の多くは、医療行為を装って女性をアパートに誘い込み、ガスを吸わせて意識を朦朧とさせたあと、首を絞めるという残忍極まりないものだった。
罪のない8人の女性を殺しただけではない。同じアパートに越してきたティモシー・エヴァンスの妻ベリルと、その娘ジェラルディンを殺害したジョン・クリスティは、巧妙な手口でティモシーを操り、全ての罪を彼になすりつける。その結果、裁判で有罪となったティモシーは絞首刑に処されることに。この事件は、イギリス史上最も悪名高い冤罪事件の一つ、「エヴァンス事件」として知られることになる。この悲劇的な冤罪事件がきっかけとなり、イギリスでは死刑制度廃止に向けた動きが急速に進んでいった。1971年に公開されたイギリス映画『10番街の殺人』は、この「エヴァンス事件」を題材にした実録犯罪映画である。
『10番街の殺人』© 1971 Columbia Pictures Industries, Inc. All Rights Reserved.
ちなみに、ブロードウェイ・ミュージカル「オン・ユア・トウズ」の劇中曲であり、後年ベンチャーズがカヴァーした楽曲も「10番街の殺人」だが、これとは全く関係がない(映画の原題は『10 Rillington Place』で、曲の原題は「Slaughter On Tenth Avenue」)。まぎわらしいったらありゃしない。
作品の構想自体は、60年代の始めから練られていた。公開までに時間がかかってしまったのは、全英映像等級審査機構(British Board of Film Classification、BBFC)が、過去50年以内に発生した実際の犯罪に関する映画を全て拒否してきたから。遺族感情に配慮した措置だったが、イギリスで死刑廃止が制定されたタイミングで、遂に許可が下りる。本作の公開は、過去の過ちを検証し、未来の司法制度をより公正なものへと導く社会的装置としての役割を担っていたといえる。
監督を務めたのは、リチャード・フライシャー。『ソイレント・グリーン』(73)でディストピアと化した近未来のニューヨークを描き、『マンディンゴ』(75)で黒人奴隷というアメリカ史の暗部にメスを入れたこの職人監督は、リリントン・プレイス10番地を舞台に犯罪スリラーを創り上げる。『ノッティングヒルの恋人』(99)でジュリア・ロバーツとヒュー・グラントが恋に落ちるよりもはるか前、ウェスト・エンド・ロンドンにあるノッティング・ヒルの街では、密かに凶悪な犯罪が行われていたのだ。