2025.08.27
二重構造の倫理的転倒
『キング・オブ・ニューヨーク』における倫理的転倒は、二重構造を成している。ひとつは、犯罪者であるフランク・ホワイトが、暴力と麻薬を用いながらも社会的秩序を部分的に再建し、病院建設などの慈善行為を通して擬似的な統治者として振る舞う点。もうひとつは、国家権力の象徴たる警察が、法律の枠を逸脱し、アウト・オブ・モラルな手段によってフランク一味を壊滅させようとする点だ。
チャイニーズ・マフィアのボスを排除し、大量の麻薬を手に入れた時点で、ニューヨーク市警はフランクこそが新しい闇の王であると認識していた。だが正規の手続きを踏んで勾留しようとしても、彼は人的ネットワークをフル活用して法律をスルリとすり抜け、何度でも闇の世界に舞い戻ってしまう。
もはや、従来型の法執行では彼を完全に制圧することは不可能。そこで一部警察は、フランクに正義の鉄槌を下す唯一の方法として、犯罪組織による仕業に偽装した排除――すなわち、非合法的な暴力の行使が選択されることになる。これは、警察という国家権力がその象徴的正当性を保ちながらも、倫理的制約を逸脱するという、深刻な逆説を示している。
『キング・オブ・ニューヨーク』©1990 RTI.
彼らの行動は、当時の社会背景とも密接に関連している。前述したように、ニューヨークは財政破綻によって公共秩序の維持が困難となっていた。このような状況下では、国家権力の執行者である警察も、様々な制約のなかで秩序を保つことはできない。警察の法外介入は単なる権力の乱用ではなく、国家機能不全の反映であるとも言えるのだ。
フランクは暴力を通じて都市の秩序を再建しつつ、慈善行為によって擬似的な統治者として振る舞う。一方で警察は、非合法的手段によって秩序を維持しようとする。法と正義の境界が曖昧になることで、観客は単純な善悪の判断を超え、「正義とは何か?」「正しいことを遂行するにあたって、倫理的限界はあるのか?」という、頭が破裂しそうな考察が求められる。
荒廃した都市。国家機能の不全。そして、権力行使の是非。『キング・オブ・ニューヨーク』は、フランク・ホワイトと警察という二つの暴力主体の対立を通して、暴力と秩序、正義と倫理が交錯する生々しい現実を、鋭く映し出す。アベル・フェラーラ監督が仕掛けたのは、人間社会の脆弱さと制度の限界を浮き彫りにする、ギャング映画のスタイルをまとった壮大な思考実験なのである。
文:竹島ルイ
映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。
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提供:マーメイドフィルム 配給:コピアポア・フィルム
©1990 RTI.