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『コーヒー&シガレッツ』カフェインとニコチンの文化学

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『コーヒー&シガレッツ』カフェインとニコチンの文化学

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双子、いとこ、そして赤の他人



 『コーヒー&シガレッツ』で興味深いのは、双子やいとこといった血縁設定がやたら頻出することだ。そして近しい血縁同士にも関わらず、やっぱり会話は噛み合わない。エピソード2「双子」では、スパイク・リーの弟ジョイ・リーと妹シンケ・リーが双子役で登場。妹は「私のファッションのコピーばかり」だとなじり、兄は「自分のスタイルはある」とケンカばかり(そして、スティーヴ・ブシェミのエルヴィス陰謀論はまったく相手にされない)。


 エピソード7「いとこ同士」では、ケイト・ブランシェットが一人二役を演じる。本人=映画スターとしてのケイトと、いとこのシェリーがホテルのラウンジで再会。華やかさとコンプレックス、嫉妬と優越感が交錯するやり取りで、血縁の近さがむしろ断絶を際立たせる。エピソード9「いとこ同士?」では、アルフレッド・モリーナが「実は僕たち、いとこかもしれない」と持ちかけ、親戚関係を通じて親しくなろうとするが、スティーヴ・クーガンはなんとかやり過ごそうとする。


 エピソード8「ジャック、メグにテスラコイルを見せる」に登場するホワイト・ストライプスのジャック&メグ・ホワイトは、オフィシャルには姉弟と伝えられていたし(実際には元夫婦)、RZAとGZAも実際にいとこ関係。全11話のうち少なくとも5本が、血縁を意識させる構成になっている。



『コーヒー&シガレッツ』© Smokescreen Inc.2003 All Rights Reserved


 コーヒーやタバコは、知らない人同士でも気軽に分け合える日常の小さな共有だ。一方で、いとこや双子といった血縁は、自分の意思とは関係なく最初から背負わされる共有。前者はいかにも普遍的なつながりを作りそうで、実際にはただの暇つぶしにすぎない。後者はいかにも深い親しさを保証するようでいて、やっぱりズレや誤解から逃れることはできない。


 『コーヒー&シガレッツ』は、この二つの“共有”を並べて見せることで、人と人とが本当に分かり合うことの難しさを、ユーモアと皮肉を交えて描き出す。モノクロのテーブルに置かれたコーヒーカップと灰皿は、親しさと孤独が同時に漂う独特の光景を象徴しているかのようだ。それでも人間は、きっと分かり合えると信じて、非生産的会話をダラダラと続ける。そこには、20世紀を貫いてきた「カフェインとニコチンの文化史」が凝縮されている。ジャームッシュが切り取ったのは、都会の知と孤独が交差する、退屈にして豊穣な瞬間なのだ。


 最後にひとつ。ジャームッシュ自身、かつては一日に十二杯もコーヒーを飲むカフェイン・ジャンキーだったが、1986年に断ったと語っている。公開当時のインタビューでの発言なので現在もそうなのかは定かでないが、いずれにせよ『コーヒー&シガレッツ』は、失われたカフェインとニコチンの時間を刻みつける、彼にとってのパーソナルな記録でもあったのだろう。


(*1)https://www.indiewire.com/features/general/looking-for-love-over-nicotine-and-caffeine-jim-jarmusch-talks-about-coffee-and-cigarettes-78919/

(*2)https://filmmakermagazine.com/107896-brief-encounters-director-jim-jarmusch-on-the-poetic-downtime-of-coffee-and-cigarettes/



文:竹島ルイ

映画・音楽・TVを主戦場とする、ポップカルチャー系ライター。WEBマガジン「POP MASTER」(http://popmaster.jp/)主宰。




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作品情報を見る



『コーヒー&シガレッツ』

9月26日(金)より1週間限定上映中

提供:ロングライド 配給:Filmarks

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