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『コーヒー&シガレッツ』カフェインとニコチンの文化学

© Smokescreen Inc.2003 All Rights Reserved

『コーヒー&シガレッツ』カフェインとニコチンの文化学

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『コーヒー&シガレッツ』あらすじ

“コーヒー”と“タバコ”にまつわる愛すべき11のエピソード。コーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら、様々な登場人物たちが、どうでも良さそうで、良くない、でもひとクセある会話を繰り広げていく…。


Index


意味のある会話を拒み、意味のなさを切り取る



 カフェインとニコチン。この二つは、20世紀の都市文化を象徴する嗜好品だった。


 コーヒーは、ヨーロッパのカフェに思想家や作家を呼び寄せ、議論や創作を生み出すための“触媒”。パリでもっとも古く、知識人の社交場として名高いサン=ジェルマン=デ=プレに、サルトルやボーヴォワールが腰を下ろす姿を思い浮かべればわかるだろう。テーブルに置かれたカップそのものが、思想、会話、芸術の誕生を連想させるアイコンとなったのだ。


 一方でタバコは、アメリカのジャズクラブやフィルム・ノワールを連想させる。紫煙に包まれたサックス奏者、煙草をくわえた探偵やギャングスター。そこには退廃、孤独、都会の夜といったイメージが凝縮され、吸う仕草そのものがクールを演出する。コーヒーが理性の象徴なら、タバコは虚無の象徴。相反するものを同じテーブルに並べることで、知と孤独、対話と退廃が奇妙に同居する文化的風景が生まれた。


 この都市文化のエッセンスをそのまま映画にしてしまったのが、ジム・ジャームッシュの『コーヒー&シガレッツ』(03)だ。モノクロの画面に並ぶカップと灰皿、漂う煙と会話。11本の短編から成るエピソードでは、俳優やミュージシャンたちがコーヒーとタバコを前にさまざまなやり取りを繰り広げる。



『コーヒー&シガレッツ』© Smokescreen Inc.2003 All Rights Reserved


 とはいえ、この映画で展開されるのは高尚な哲学談義ではない。むしろ、観客を肩透かしするように、どーーーーーでもいいようなお喋りが延々と続く。例えば、エピソード3「カリフォルニアのどこかで」では、イギー・ポップとトム・ウェイツが、互いに相手の音楽キャリアを遠回しにけなし合いながら、最後には「どっちの曲もジュークボックスに入っていない」というオチに行き着く。


 エピソード5「ルネ」では、謎めいた美女ルネ・フレンチがコーヒーの温度や色にやたらこだわり、店員がナンパまがいに注ぎ足しては空回りする(なぜか読んでいる雑誌がファッション誌ではなく、銃マニア向けのカタログ)。エピソード6「問題なし」では、イザック・ド・バンコレが「何か伝えたいことがあるんだろう」と思い込んで相手を問い詰めるが、アレックス・デスカスは「問題ない」を繰り返すばかり。結局、最後まで「問題ない」以外の会話は出てこない。


 どのエピソードも意味のある会話を拒み、むしろ意味のなさを切り取っている。ジム・ジャームッシュ自身、こう語っている。


「人生は大きな事件ではなく、小さな瞬間でできている。僕はなぜかそういう瞬間に惹かれるんだ。『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91)もそう。タクシーから降りる場面の「前後」にある時間に興味がある。つまり映画から削ぎ落とされる瞬間を描きたかったんだ」(*1)




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