
© 2024 - EX NIHILO - FRANCE 3 CINEMA - AUVERGNE RHÔNE ALPES CINÉMA
『ホーリー・カウ』悩んで葛藤しながら熟成していく、まるでチーズのような”カミング・オブ・エイジ”物語
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演技未経験のキャストがもたらしたもの
キャスティングにはほぼ1年が費やされたという。これはピッタリの人物を探し出すまでに要した時間であると同時に、素人の彼らを説得して了承を得るまでにかかった時間とも言える。
トトンヌ役のクレマン・ファヴォーやマリー=リーズ役のマイウェン・バルテレミはそれぞれ養鶏場で働いたり酪農を学んだりしている地元の若者たち。当然ながら同世代のプロ俳優のような演技スキルを求めるのは無理な話だが、その代わり、彼らは彼らにしか表現しえない、心と体に沁み込んだ生の感情と経験を持っている。
現地の同世代は、子供の頃から動物や植物の命を預かる仕事を任せられ、早朝から夜遅くまで気が休まることはない。でもどれだけ懸命に働いても賃金や生活は不安定。失業してしまう者もいる。どこかに行きたい、逃げ出したいと感じてもどこにも行けない。行きようがない。その上、狭いコミュニティゆえに関係性がこじれると後に遺恨を残すこともあるーー。
登場人物たちは自らの心情を流暢に説明することもない。だが、胸の中で渦巻く複雑な思い、やり場のない感情は「力強い目」として放出され、時に言葉を超えた痛烈さで私たちの心を射抜く。これらは彼らの一挙手一投足が、映画表現というリアルとフィクションのちょうど中間域にある次元へナチュラルな変換を遂げていく記録でもある。
その一方、本作が輪をかけて素晴らしいのは、過酷な現状と合わせ鏡のようにして、無軌道で暴走しがちな青春とボーイ・ミーツ・ガール、それに何物にも代えがたい友情が描かれているところだ。
『ホーリー・カウ』© 2024 - EX NIHILO - FRANCE 3 CINEMA - AUVERGNE RHÔNE ALPES CINÉMA
やがて全ての道筋は主人公の「チーズ作り」へと集約されていく。言葉もなく、ただひたすら真剣な表情でかき混ぜ、熱い釜に両手を入れてすくいあげようとするその姿。おそらく彼が人生で初めて浮かべるであろう真剣な表情は神々しくさえ感じられるし、そこで完成するチーズはまるで人生の第一歩を祝福し、挫けそうになる心を支え、あらゆる困難から身を守ろうとする盾のようだ(現に、私にはキャプテン・アメリカのシールドのように見えた)。ラストで七転八倒しながら、それでもなお突き進むストックカーレースの描写も人生の縮図のようで力強く輝かしい。
出演した彼らは、どうやら自分たちの映画出演がこれほど大きなプロジェクトだとは露ほども思っておらず、カンヌ映画祭に参加したときに初めて自分たちの置かれた状況を理解したらしい(*1)。そんな逸話もまるで映画の延長線にある物語の一部のように我々の心をほっこりとさせる。
あらゆるものが時間をかけて熟成されていく
かつてケン・ローチは『天使の分け前』(12)で、長期間かけて熟成させてこそ味わいの増す樽の中のウイスキーを、まるで成熟前の青年たちと重ね合わせるかのように描いた。『ホーリー・カウ』にもまさにそれに似たところがある。これは青年が大人になっていく熟成の物語。なかなか煮えず、固まらず、すくいきれずにいたコンテチーズの混濁は、時間の経過と共になめらかに形を変容させていく。物語が描く時系列は、チーズの熟成に必要な期間とほぼ一致する。
登場人物だけではない。出演者一人一人が時間と情熱をかけて練習を重ね、監督自身もまた、幼い頃からの故郷への思いをゆっくり熟成させて創り上げた本作。ひとかたまりのコンテチーズにはあらゆるものが詰まっていて、きっとここから全てが始まっていく。映画から滲み出るその味わいを存分に楽しみたい。
参考記事URL(*1)
そのほか参考記事
https://cineuropa.org/en/interview/462540/
1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。
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提供:キングレコード 配給:ALFAZBET
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