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『ジェイコブス・ラダー』聖書が照らすベトナム帰還兵の闇

(c)Photofest / Getty Images

『ジェイコブス・ラダー』聖書が照らすベトナム帰還兵の闇

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エイドリアン・ラインの演出術



 エイドリアン・ラインが最も重視したのは、観客が現実と幻覚の境界を見失う瞬間をつくり出すこと。彼は、死の一瞬を極限まで引き延ばした主観的な現実を物語の中心に据え、ホラーを単なる恐怖の演出ではなく、意識そのものが崩壊していく体験として設計する。「これは現実なのか、それとも幻なのか?」を問い続けること、その混乱と覚醒のあわいこそが、彼にとっての恐怖であり、ドラマなのだ。


 元々のシナリオに書かれていた天使と悪魔の対立を、ラインが意図的に排除したのも、その思想の表れだろう。


 「脚本の段階では、悪魔や天使が聖書的なビジュアルで描かれていた。つまり、コウモリの翼や二股の蹄、角の生えた悪魔、そういう典型的な地獄のイメージだ。でも、それでは怖くならない。むしろ滑稽なんだ」(*2)


 CGやデジタル合成を使わず、すべてカメラ内で撮影することにもこだわった。『ジェイコブス・ラダー』では低フレーム撮影や手ぶれ効果を利用して、“顔のない振動する影”を生み出す(この表現は、後年ビデオゲームの『サイレントヒル』などに影響を与えた)。彼にとって恐怖とは、現実世界の延長線上にある歪みであり、ファンタジーではなく現実の感触をもった違和感なのだ。そのため、作品のトーンは常に生々しく、観客の肉体的な反応を誘発する。



『ジェイコブス・ラダー』(c)Photofest / Getty Images


 もともと彼は、『ナイン・ハーフ』(86)や『危険な情事』といった作品で、人間の肉体を通して心理を語る監督として評価を確立していた。肌の質感、光の反射、呼吸のリズムによって、登場人物の情動や葛藤を視覚化し、欲望や不安といった内面の揺らぎを映像に落とし込む。そこにあるのは、単なる官能描写ではなく、身体を媒介にした心のドラマである。


 『ジェイコブス・ラダー』では、この手法をさらに深化させ、死と再生のプロセスそのものを肉体的な苦痛として体験させる構造へと転化した。震える映像、汗ばむ肌、荒い呼吸。それらのディテールが、観客の生理的反応を刺激しながら、主人公ジェイコブの魂の崩壊を追体験させる。エイドリアン・ラインの映画は、常に官能と恐怖、理性と本能、愛と死という相反する要素の境界に立っているのだ。


 よくよく考えてみると、『ゴースト/ニューヨークの幻』も死に関する映画だった。魂の旅を光の物語として描いた『ゴースト』と、闇の物語として描いた『ジェイコブス・ラダー』。二つの映画は表裏一体の存在として、ブルース・ジョエル・ルービンとエイドリアン・ラインの精神的探求を共有している。





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